2009年7月30日木曜日

岩戸開きの御用の御魂と『御魂』の岩戸開き







【岩戸開きの御用の御魂と『御魂』の岩戸開き】

「岩戸開き」という言葉は、日月神示では、大変重要な神義を有する言葉です。
しかし、「御魂」の「岩戸開き」というこの御神示から私達は、どのようなことをこれからなさなければならいかを、改めて考えさせられます。

天災・人災によって、人類が「光覚」に至るのではなく、そこにあるのは、「自立的光化」「内在的光化」の必要性です。

このことに気付かれた方々も、その「方法論」に、混迷を感じられることでしょう。

日月神示に「内包」されたその「光理」は、それをしっかりと紐解くことによって、人類を「内在的光化」「魂の光化」へと「光導」していくものなのです

詳しくは、日月神示に内包された、「光醒」への「光の指標」である「実践意識光学」で詳しく教示していく予定です。
写真は、7月22日の南九州での「皆既日食」の時に、滋賀県の「長浜市」で、筆者が実見し、撮影した「部分日食」です。

【第6巻・日月の巻  第2帖(175)】(昭和19年旧9月2日)

【三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる、時近づきぬ御民等よ。今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。みたまさちはへましまさむ。旧九月二日、ひつ九のか三。】

【第8巻・磐戸の巻 第16帖 (252)】(昭和20年1月14日)

【世の元からの生神が揃うて現はれたら、皆腰ぬかして、目パチクリさして、もの云へん様になるのざぞ。神徳貰うた臣民でないと中々越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負ひきれん迄にやるぞ、大き器もちて御座れよ、掃除した大きいれものいくらでも持ちて御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来てゐるのざから安心して御用つとめてくれよ。今度はマコトの神の力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。洗濯と申すのは何事によらん、人間心すてて仕舞て、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つもうたがはず生れ赤子の心のうぶ心になりて、神の教守ることぞ。ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか、今度の岩戸開きはミタマから、根本からかへてゆくのざから、中々であるぞ、天災や戦ばかりでは中々らちあかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思ふてゐると判らんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ、今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、大層な骨折りざぞよ。叱るばかりでは改心出来んから喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引寄せて御用さしてあるのざ、めったに見当くるわんぞ、神が綱かけたら中々はなさんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくる廻って又始めからお出直しで御用せなならん様になって来るぞ。ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲(いずも)の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ。ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。一月十四日、 の一二のか三。】

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