2009年9月29日火曜日

弁財天信仰・龍神信仰と「ひふみ神示」・「日月神示」】





【弁財天信仰・龍神信仰と「ひふみ神示」・「日月神示」】

平成21年9月21日は、十干十二支で、【己巳(つちのとみ)】でした。 各地の「弁財天」のお宮では、【己巳(つちのとみ)】のお祭りを斎行されました。

今年の5月24日【己巳(つちのとみ)】の月の、【己巳(つちのとみ)】の日には、上野の不忍池の【弁天堂】で、「御神石」を奉献する御神事を斎行しました。

7月23日【己巳(つちのとみ)】の神日は、京都の「貴船神社」を始め、八瀬の【九頭龍大社】等に御参拝しました。

上野の不忍池の【弁天堂】は、9月21日の【己巳(つちのとみ)】の日が、「大祭」でした。 年に一度の「弁財天像」の御開帳がありました。 私たちも、御参拝しその御尊顔を見ることが出来ました。

その後、浅草の浅草寺の宝蔵門近くの【弁天堂】にも御参拝し、その後、千葉の柏市の【布施弁財天】にも御参拝しました。

浅草の弁財天・布施弁財天・江ノ島の弁財天、【関東三弁財天】とされています。

浅草の弁財天の側には、とても良いお姿の「お地蔵様」もあります。

【弁財天信仰】は、仏教が渡来する以前から、日本では、海人系の人たちがお祭りしていた「龍神様」・「海神様」・「水神様」が、その信仰の底流にあります。 日本では、古くから「火と水」をお祭りする人たちが定住し、独自の「龍神信仰」を持っていました。 それが、仏教渡来以降、次第に「弁財天信仰」に習合していったのです。 ただ、「信仰」とは「霊脈」・「血脈」の中に存在するものですから、昨今の「龍神様ブーム」も、日本人の中のその様な「霊脈」・「血脈」の「魂の甦り」と感じます。 この「龍神信仰」、「磐座信仰」、「石神信仰」等と親和性の高い信仰で、いわゆる「国津神系」・出雲系の信仰です。

明治維新以降の「排仏毀釈」以前は、仏教とも穏やかな習合性を有していました。明治維新以降の明治政府の「神道の国教化」以後は、むしろ「邪教」的に取り扱われていた感があります。

「龍神」を記紀の神よりも、「一段下」の存在として取り扱い、出雲系「龍神信仰族」の信仰を「弾圧」する傾向がありました。

大本の神観の中には、国祖国常立大神が「龍体」として顕現するという内容もありますが、ある所では、「龍神は神よりも一段下の存在である」という、神観も提示しています。 これも、「大本第2次弾圧」によって、大本の「出雲系龍神信仰」という「本質」の「修正」を余儀なくされた経緯があると、私は考えています。

その点、「日月神示」は、かつて大本に在籍した日本の「心霊研究」の先駆者の浅野和三郎氏の「神主」(ここでは、鎮魂帰神法における「霊媒」的存在を指しますが)として一時期、「龍神」との神霊的交流をしていた、岡本天明先生に天授されたものですから、この「龍神信仰」と「龍神」の「本質的理解」は、なかなか見るべきものがあります。

「ひふみ神示」・「日月神示」の【龍神】に関する幾つかの神示を参考のために掲載しておきます。

【ひふみ神示・日月神示・第9巻・キの巻・第9帖(266)】(昭和20年3月11日)

【悪いこと待つは悪魔ぞ、何時 建替、大峠が来るかと待つ心は悪魔に使はれてゐるのざぞ。この神示 世界中に知らすのざ、今迄は大目に見てゐたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、神の規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、つくりかためたのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まひ申さすはもったいないぞ、それで天におのぼりなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、この神々様、御手伝ひでこの世のかため致したのであるぞ、元からの竜体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、神を見おろしてゐる様で、何でこの世が治まるものぞ。天と地の御恩といふことが神の国の守護神に判りて居らんから難儀なことが、愈々どうにもならん事になるのぞ、バタバタとなるのぞ。臣民 生れおちたらウブの御水を火で暖めてウブ湯をあびせてもらふであろが、其の御水はお土から頂くのざぞ、たき火ともしは皆 日の大神様から頂くのざぞ、御水と御火と御土でこの世の生きあるもの生きてゐるのざぞ、そんなこと位 誰でも知ってゐると申すであろが、其の御恩と云ふ事知るまいがな、一厘の所 分かるまいがな。守護神も曇りてゐるから神々様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かす様では誠の役員とは云はれんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしてゐるのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民くさって了ふぞ、せわしく働けよ。三月十一日、ひつぐの神。】

【ひふみ神示・日月神示・第19巻・まつりの巻・第4帖(408)】(昭和21年8月10日)

【世こしらへてから臣民の種うゑて、臣民作ったのであるぞ。世、こしらへた神々様は「ながもの」の御姿ぞ、今に生き通しぞ。神が見て、これならと云ふミタマに磨けたら、神から直々の守護神つけて、天晴れにしてやるから御用見事に仕上げさすぞ、臣民ばかりでは出来ん、三千世界の大洗濯、誰一人 落したうもない神心、皆揃ふておかげやりたや、喜ぶ顔見たや、遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、早う親の心汲みとれよ。八月十日、一二 。】

【ひふみ神示・日月神示・五十黙示録・第1巻・扶桑の巻・第2帖】(昭和36年5月5日)

【なかとみの ふとのりとこと ふとにのりあぐ。

 一はいくら集めても一であるぞ、判らんものいくら集めても判らん道理、二は二、三は三であるぞ、一を二つ集めても二にはならんぞ、人民 大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、 (レイ)がもとぢゃ、 一(レイ)がもとぢゃ、結びぢゃ弥栄ぢゃ、よく心得なされよ。世の元、 の始めから一と現われるまでは を十回も百回も千回も万回も、くりかへしたのであるぞ、その時は、それはそれはでありたぞ、火と水(一と三)のドロドロ(十 十 )であったぞ、その中に五色五頭の竜神( 〇二ん)が御ハタラキなされて、つくり固めなされたのぢゃ、今の人民は竜神( 〇二ん)と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、ことわけて申してゐるのぞ。竜神( 〇二ん)とは 神(理〇 )であるぞ、五色の竜神とは国常立尊の御現われの一(ヒトツ)であるぞ。  戒律をつくってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思ふであろうなれども、戒律は下の下の世界、今の人民には必要なれど、いつまでも、そんな首輪はいらんぞ、戒律する宗教は亡びると申してあろうがな。】

 この御神示中の「〇」は、本来「渦巻き」の記号です。

写真は、上から、上野の弁天堂。浅草の弁天堂。柏市の布施弁天。

歌で岩戸開けるぞ。辛酉(かのととり)の「ひふみ神示」・「日月神示」





【歌で岩戸開けるぞ。辛酉(かのととり)の「ひふみ神示」・「日月神示」】

【辛酉(かのととり)】という「神日」については、先日の日記で、御説明しました。 この御神示は、昭和24年に天授されたもので、「歌」の歌詞としての内容となっています。

【辛酉(かのととり)】について説明をした日記 】

【「ひふみ神示」・「日月神示」と榛名(ハルナ)の御用】

http://histukishingi.blogspot.com/2009/09/blog-post_15.html

最初の「ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。」という「神招(お)ぎ」の神詞を除くと、合計70首「型歌(かたうた)」形式の御神歌です。

「七十(なると)」は「鳴門」に「神合」した神歌の数となっています。

「型歌(かたうた)」とは、岡本天明先生が創唱した「短詩型の御神歌」で、577形式で、合計19文字となり、「トコタチ数」となり、国祖国常立太神の「御神数」となります。

これを、実際に「歌う」ことで、より、「想念の浄化」・「魂の潔斎」がなされるとされています。

岡本天明先生も、実際にお祭りの際には、祝詞奏上の後に、「御神歌」を歌われていたと言います。

今は、その「歌い方」を伝える方も、ほとんどいないのが現状です。

9月27日(日曜日)の【第7回実践意識光学連続講座】では、「八雲神歌」という朗詠法によって、この「型歌形式の御神歌」を朗詠しました。

【9月27日(日曜日)の【第7回実践意識光学連続講座】】
この「御神歌の朗詠法」は、【真澄修法】という「御神歌朗詠による鎮魂帰神法」にも相通ずるものです。「霊学」の神奥を窮めんとされる方は、是非実践して頂きたい「修法」です。

皆さんも、是非御神示の「神歌」を朗詠し、各自の「神示の実践生活」を「再光化」されてはいかがでしょうか?

【「ひふみ神示」・「日月神示」第24巻・「黄金の巻」・第44帖(555)】(昭和24年かのととりの日)

【奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。

ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。  

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。  
御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。  
世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。  
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。  
三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。  
大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。  
天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。  
堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。  
したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。  
大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。  
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。  
国原は、大波うちて、みふみを拝す。  
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。  
大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。  
天地の、光となりて、みふで湧き出づ。  
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。  
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。  
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。  
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。  
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。  
天地も、極まり泣かん、この時にして。  
かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。  
天地も、極まりここに、御代生れ来ん。  
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。  
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。  
宮柱、太しき建てて、神のまにまに。  
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。  
言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。  
ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。  
ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。  
大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。  
今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。  
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。  
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。  
ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。  
言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。  
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。  
あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。  
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。  
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。  
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。  
みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。  
あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。  
さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。  
みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。  
いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。  
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。  
追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。  
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。  
みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。  
と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。  
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。  
たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。  
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。  
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。  
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。  
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。  
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。  
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。  
道端の、花の白きに、祈る人あり。  
拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。  
悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。  
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。  
御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。  
悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。  
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。  
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

      かのととりの日。】



「熊野 神の石・原秀雄 石を祀る」個展のお知らせ





【「熊野 神の石・原秀雄 石を祀る」個展のお知らせ】

奥熊野の【玉置山】の神域にアトリエを持っておられる、かずらアート作家の原秀雄さんの、東京・代官山の個展が、先週から開催されています。

熊野三山奥の院と言われる「玉置山」の写真と共に、「奥熊野」の隠された「秘境」の磐座(いわくら)の写真が、展示される予定です。
私も、かつて原さんに、「大丹倉(おおにくら)」という秘境に連れて行ってもらった経験があります。その途中に、巨大な一枚の岩を磐座としてお祭りしているお社に連れて行ってもらいました。
大丹倉(おおにくら)の頂上からは、はるか北にかすかな「玉置山」を遥拝出来た記憶があります。

奥熊野に人知れず「神鎮まります」「神の石」・磐座の写真を、恐らく、原さんとしては、本格的には初めて公開されるのだと思います。
この時期に「奥熊野の神の息吹」を、東京まで持って来て頂くことに、私は深い御神慮を感じます。
私たち都会に住むものにとって、このような「生命の根源」と言えるものとの「魂の結び」が、これから益々大切になって来ると感じます。

昨年春には、「アートイベント」を原さんの御紹介で何度かさせて戴きました。 私も、機会があれば、何度か会場に足を運ぶ予定です。
皆さんも、この「機会」を「御神縁」ととらえられ、是非会場に足をお運び下さることを期待しております。
   以下、原秀雄さんの日記を転載させて戴きます。    写真は、原さんの日記からの転載です。

【原秀雄さんのミクシィ日記】

                 【記】

ご無沙汰しました。 連休明けから代官山で作品展をします。
昨年お世話になった、奈良県のアイスタジオです。 昨年末に売りに出されましたが、リーマンショック以来の 不況で買い手がつきませんでした。
また使わせてもらえることになりました。
熊野の知られざる石の写真、多数展示します。
2枚目の写真は、新宮市近く、天龍が祀られている岩。 3枚目の写真は、熊野市妙見神社御神体、妙見倉最上部。
下のブログにもほかの写真あります。

期間中は居りますので、是非お出かけください。

【期間】 9月25日(金)~10月4日(日)   【時間】 a.m.10:30~p.m.18:40   (9月29(火),30(水)は休館)

【場所】 奈良県代官山 i スタジオ (Tel 03-3461-5550) 渋谷駅から東急東横線代官山駅下車、西へ約50M (東京都渋谷区恵比須西1-36-10)

奈良県吉野郡十津川村。大峰山に連なる深い山の頂きに、 日本最古といわれる玉置神社があります。御神体は玉石。
その神域に位置する最奥の集落に移り住んで20年。 自然素材を使った私のプリミティブアートは、いつしか石 を扱うようになっていました。
石信仰は宇宙への感謝と祈り。
時代は、自然や環境との調和だけではなく、 根源の宇宙へのチューニングを求めています。
聖地熊野の各地に祀られた石写真展示と共に、 かづらや古木などの花器、灯り作品も販売します。

【原秀雄氏プロフィール】

70年代初頭に大学を中退、都会を出て農の道を求める。 福岡正信氏に師事、自然農法を学び実践する。 以後、日本各地、カリフォルニアなどの自然のなかで暮らす。
奥熊野在住。つる、流木、石などで花器、ライティングオブジェ 等を作り、自然のスピリットを表現する。 東京のデパート、ギャラリーを中心に個展多数。
神奈川県川崎市生まれ。 70年代初頭に横浜国大を中退、都会をはみ出して農の道を求める。
福岡正信氏に師事、自然農法を学び実践する。 信州野辺山、愛媛、諏訪之瀬島、長崎、屋久島、カリフォルニアなどこの間の田舎暮 しは35年におよぶ。
平成元年アメリカから帰国。 奈良県十津川村の熊野川支流最奥の集落に住む。 近くに熊野三山の奥の院、玉置神社がある。
熊野の自然の鮮烈なエネルギーに感応し、田畑をしながら、つる、流木、古木、石な どの熊野の自然素材を使った花器、ライティングオブジェ等を作りはじめる。
1992年、池袋西武で初個展、大好評を搏し、かづらブームの火付け役となる。 以後、 かづらアート作家、流木、自然木造型作家、自然アート作家として東京の各 デパートやギャラリーを中心に作品展を多数開催。
自然素材を創作の材料としてではなく、完成された大自然(神)の作品として とらえ、秘められた自然のスピリットがよどみなく流れでてゆけるように、最小限の 手を加えることを仕事の基本姿勢としている。
各地でのさまざまな経験をふまえ、田舎暮し出張アドバイス、講演なども行う。
熊野を訪れた人が、自ら採取した自然素材での作品づくりを通して自分と自然の根源 に一歩足を踏み入れるワークショップ、 「熊野 Spiritual Art of Nature 」を企画。

【ホームページ】

2009年9月17日木曜日

10月10日(土)群馬高崎市・橘流写経集中講座の御案内!





【10月10日(土)群馬高崎市・橘流写経集中講座の御案内!】

今年最大の【神日】である、【10月10日】に、群馬県高崎市、【橘流写経集中講座】を開催することになりました。 先日9月13日の「辛酉」(かのととり)の日、【榛名湖・榛名神社】に御神業に行き、何かその「御神縁」の延長線上にある感があります。 北関東への御神業も、今後はまた増えて来る感があります。 東京からでも、何とか来れる距離ですので、8月16日の【東京・橘流写経集中講座】に御参加出来なかった方も、あるいは再度受講されたい方も、是非この機会に御参加戴ければ幸いです。 以下、たまちひめさん(橘千榮先生)のミクシィ日記を【転載】させて戴きます。

          【記】

9月の声を聞き、朝晩が大変涼しい風の吹く頃となりました。 4月に橘流写経の講演会を群馬県伊勢崎市で開催させて頂きましてから、橘流写経を始められる方々が増え、アフター・フォローとして、またこれから新しく始められる方の為にも、新たにお話をさせて頂く時期に来ていることを知らされ、この度群馬県高崎市で橘流写経の第二回の講演会を取り行わさせて頂きます。 主催者の方はマイミクのあっちゃんさんです。

【あっちゃんさんのミクシィサイト】


【橘流写経】は、本年3月6日愛知県岡崎市を皮切りに、4月11日群馬県伊勢崎市5月3日東京での集中講座に続きまして、お盆の時期の8月16日にも東京で講座を開くこととなり、今回で五回目となります。

それぞれの地で根底のお話は変わらないながらも、二度目、三度目と更にお話をさせていただく中には、前回お話の出来なかった新しいお話を盛り込んでまいりますので、どうぞ続けてお聞きになってご理解を深めていただきたく、東京からも近郊となり、然程遠い地域ではありませんので、どうぞお気軽にいらして頂きたいと思っております。

今回は『過去を捨てて新しく生まれ変わって生きること』を先ず第一にお伝えしたいと考えています。 それぞれの方が過去の記憶と共に生きておりますが、中にはそれに縛られたり、がんじがらめになったり、ご自分ではどうしようもない思いの中を生活されている方もおり、忘れたい過去に捉われて手も足も出ない方もおり、これらの事から解放されて、『今だけに生きる』『今に生き切る』ことのお伝えをさせていただきます。

今に生き切る人間が始めて到達出来る世界があり、私達は「思凝」(しぎ)を魂に絡み付かせて生きておりますが、全人類の中で「思凝」(しぎ)のない方は一人もありません。 今に行き切った方は過去の過ちも魂の肥やしとなり、肥料として、たましいの栄養となり、過去の捉われから離れて生き切ることが出来ます。

今回はこの『今だけに生きる』『今に生き切る』方法を詳しくお伝えしたく思っております。 さらに、古くから【重陽の節句】として9月9日があり、 お目出度い日として【10月10日】がありますが、 こうしたものの神意はどのようなものとなるのか、お祝いの意味とはどのようなものなのか、「世界の経綸」という意味からもお伝えさせていただきます。

観世音菩薩のお働きを発動される奈良の吉野の天河大弁財天社です。 弁財天の神意を受けた者により、古事記の原典が作られましたが、同様に法華経も大般若経もバイブルも、神の意を受けられる者を媒体としてこの世に現わされました。 この神様は、人類の大切な節となる時に神気を発動され、世をも見守り続けておりました。

橘香道先生は、天河の地に、昭和五十三年旧七月七日太古以来の万物万霊の供養塔を建立せよとの神意を受け、一丈六尺の供養塔を建立してから世の中は次第に変わってまいりました。 そして昭和五十六年七月十七日【六十年に一度の辛酉の年】に限り御開帳することになっている日輪大弁財天の神像御開帳を機に世の中の動きは段々に変わってまいりました。世の中の動きは和解の方向に動き出し、太古からのカルマの原点は和解成就の御神業によって薄らいでいったのです。

こうした時に御神意によって用いられたのが【橘流写経】で用いられる般若心経です。それはこれまでの書式と違うもので、太古からの万霊万物の供養塔でのご供養にも捧げられました。 また御開帳に当たっての数々の御神事にも捧げられております。 これから後は、私達自身のご先祖から伝わるカルマの解消と、私達にご縁のあるところのカルマの解消が人類に託された使命となります。 それを行うことで、一人でも多くの方が「瀬戸際」を乗り越えることとなり、人類全体の為にも、この地球上を浄化することで、どれ程の恩恵を被ることとなるかは計り知れないものとなります。

今回はこうした【般若心経の原点】に繋がるお話と共に、【実際の処置の仕方】を中心にお話します。 般若心経による「三気の処置」を行う時の心構えで、半分通るもの、全然通らないもの、受け取っていただけるものと分かれることを、 己の苦しみを乗り越えて、希望の光を見つめて処置をされる時に、これまでの苦しみが栄養となり、「その苦しみがあったからこそ今がある」と思えるような生き方にに繋がるお話をさせて頂きたく思っております。

【橘流写経】は、これまで皆さんが考えておられた「般若心経の概念」とは一線を隠す、御自身の魂と御先祖、近親者、そして大地、さらにはこの「地球」を「浄化・潔斎」し、この「大転換期」に用意された「奇蹟の修法」です。

皆様に、「聞いてよかった」と思われるお話を準備出来ればという思いでおります。
                      橘 千榮 光拝

【2009年10月10日(土曜日)群馬県高崎市・橘流写経集中講座のお知らせ!】

【橘流写経集中講座】

【講 師】橘流写経・教授 橘千榮先生【橘流写経全般についての講義】

【ゲスト講師】 岡田 光興先生(未来潮流研究会 代表 神道霊学研究家)
【橘流写経における御供養と、ひふみ神示の「御先祖の神義」・ 「想念の潔斎」の共通点・重要性について】(約40分)

【日 時】平成21年10月10日(土)    講座:午前10時~午後5時まで(お昼休み1時間)             ※講座終了後、二次会(懇談会及び個別相談)を予定。       (午後5時30分~9時頃まで)

【会 費】6000円(お弁当及びお茶菓子代等を含みます)

【会 場】高崎市 国府公民館      群馬県高崎市引間町203番地11   電話 027-372-1603      駐車場有り(普通車 20台)

今回は主催者の方のご提案でお弁当・二次会でのお茶菓子代等の千円を会場で先に集めていただき、これらのご購入を迅速にして頂くことがよろしい事となりました。お食事代・お茶菓子代が入った料金を記載させて頂きます。 懇親会では御質問、個人相談をお受けする時間を取っておりますが、皆さんで共通にお話の出来る内容での質疑応答も出来たらと思っております。お時間のある間お話の出来ますことを楽しみに致しております。

【会場アクセス】
 ■公共交通機関等   
○バス利用  JR前橋駅北口6番乗場から「イオン高崎行き(群馬バス)」に乗車、「妙見参道」下車(390円)      時刻表:前橋駅発(9時15分)→妙見参道着(9時38分)      
○タクシー利用  JR新前橋駅(西口)から約4km(料金は1000円前後です)     

自家用車をご利用の場合、以下の地図を参考にして下さい。

【国府公民館の地図サイト】

【高崎市国府公民館の案内サイト】

【お申し込み】

【たまちひめ【橘千榮】ミクシィサイト】

ミクシィ上でのお申し込みは、メッセージにて受け付けております。
【あっちゃんさんのミクシィサイト】


【特別テキスト】を用意しております。 その為準備の都合上、事前に必ずお申し込み下さい。

【電話・FAXでのお申し込み】

04-2963-8315  (未来潮流研究会事務局)・(不在の場合、留守番電話にメッセージをお入れ下さい。)

【講演内容】(予定)

1,【橘香道先生の説かれた、般若心経の写経について】(橘香道先生の著された【3部作】)

2,【般若心経の様式(14字づめ19行という神様から神示された独自の様式)の意味】   我々の命の働きの般若心経
3,【太古からの「宇宙の真理」を胎蔵した、般若心経の持つ神的な意味】   古事記の言葉 イザナミ・イザナミの断妻

4,【般若心経の根底に流れる「宇宙的真理」とは?】 地球の地軸 命の働き 月読命 少彦那の働き ムー大陸

5,【「橘流写経」による、神社・仏閣の浄化の意味とは?】 神社の様相 大祓祝詞 お経の意味 死者の供養 心ある仏教家

6,【お宮参り・お寺参りの意味と現実】 神社での穢れの祓い 境内に撒き散らされた穢れの行方 難行苦行した者の体内から吐き出された穢れの行方  

7,【私たちの「命の働きの般若心経」を用いての浄化と供養の意義】 神社・お地蔵様の浄化の意味 御先祖供養の意味

8,【「橘流写経」による基本的な方法(修法)】

 1,「橘流写経」による御先祖供養の基本的な行い方。(修法)    様々な症例あげての説明 (質疑応答)  
2,「橘流写経」による病人に対する基本的な行い方。(修法)
3,家庭内の問題や財産問題に対するの行い方。(修法)  
4,交通事故を起こした時・トラブルを起こした時の行い方。(修法)  
5,実際の浄化の行い方。戦死者の御供養。行方不明者の御供養の行い方。(修法)  
6,土地の浄めの実際的な行い方。(修法)  
7,古い家を買い取って住む時の行い方。(修法)。
8,家を借りて住む時の行い方。(修法)。  
9,旧家で先祖代々の場所で住む時の行い方。(修法)。  
10,中古のアパートを買い取った時の行い方。(修法)
11,【神の子の授かる時間 】   受胎した瞬間に決まる使命。 使命のままに働ける魂とは?。  その時の親の理想を引き継ぐと子供は命のままに働けるようになる  【その他の論点】も予定しています。
12,【橘流写経における御供養と、ひふみ神示の「御先祖の神義」・「想念の潔斎」の共通点・重要性について】【(地球の「へそ」と言われる玉置神社と「日本第一の弁財天」と言われる、天河弁財天の重要性について等】(この二つの聖地を、橘香道先生は、「陰と陽」の関係とされています)

この講義は、岡田光興(未来潮流研究会・代表・神道霊学研究家)が行います。

【その他の論点】も予定しています。 (以上の内容を、午前10時~午後5時迄の中で御説明します)

【参考コミュニティ】
【天と地の結び・橘流写経】コミュニティ

【参考】

【「橘流写経」の概要と「地球の癒し」そして「魂の浄化」】

,【橘流写経】とは、日本の神典・仏典等を深く研究され、仏典のエッセンスである般若心経を、太古からの「真理の法典」として、神様からその内容の奥義を神示された、橘香道先生の創始された、従来の「写経」とは一線を画す霊的修法です。

日本という地の特殊性もその重要な内容となっています。単なる「理論」としてのものではなく、自己の想念の浄化・魂の潔斎、御先祖や大地、ひいては、地球への感謝とその浄化という私たちが自分たちの手で出来る「実践」がその大きな目的となっています。  

半紙と筆と墨と硯があれば誰でも、近親者の御供養から様々な問題の解決が可能です。

,【橘流写経】では、月の波動から生まれた「般若心経」は万物のあらゆるものに通じ、太陽・地球を結ぶ起点として目に見えないあらゆるものに通じる「真理の経典」とされています。 ムー大陸当時から、人類の為に必要とされる時代が来ることを予期して、月読命より授けられたものが「般若心経」であるとされています。 この「般若心経」を用いて、「全世界の浄化」が出来ることを皆さんにお伝えしたく、その「具体的な方法」を詳しくお伝え出来ればと思っております。

3,過去に先祖供養のみならず、現実に生きる私たちの問題に対しても膨大な数の問題解決の「実証例」があり、橘香道・橘香里先生がお亡くなりになってから、その「真意」を伝える方が、なかなか世に出て来ることがありませんでした。 この混迷の世の中に、一筋の「光明」を与える「天からの贈り物」として、「橘流写経」を、積極的に皆さんに、御指導していきたいと考えおります。

4,この【橘流写経】における「般若心経の処置」(土・水・空気(火)を用いる【三気の処置】)をすることで、自分自身の「想念と魂が浄化」され、自分自身が新しく「生まれ変わる」ことが出来るのです。 私達は地球上にある罪穢れ(カルマ)の気を浄化して、人間のみならず、万象万物が住み良い世界を積極的に創造して行かなければなりません。 私達の体内には、何十代も前のご先祖から受け継がれた罪穢れ(カルマ・めぐり)の気(想念体・思凝)が知らず知らずのうちに充満しています。 地上の土・水・空気とそれから発生した万物にも、同じく罪穢れ(カルマ・めぐり)の気(想念体・思凝)が知らず知らずのうちに充満しています。 これらを「浄化」しなければ、その結果として、天災・人災を招き、私達自身も肉体的、運命的にも「不調和」になります。

5,その罪穢れ(カルマ・めぐり)の働きを浄化するには、「般若心経」に染め込まれた私たちの罪穢れ(カルマ・めぐり)の働きを、土・水・空気の中にある万物の罪穢れ(カルマ・めぐり)の働きと合わせることにより、万物の中にある罪穢れ(カルマ・めぐり)の働きが消えていきます。それと共に、私たちの中にある遠い先祖から受け継がれている罪穢れ(カルマ・めぐり)の働きも徐々に「浄化」され薄らいでいくことになります。

6,この大切な「地球」を「浄化」することが出来れば、地球上に戦争や紛争は起こりません。今地球上に戦争が絶えないということは、人類の作り出してきた何万年も前からの紛争をして傷つけ合って来た罪穢れ(カルマ・めぐり)の気が地上に染めこまれており、それを浄化していないことがその「根本的な原因」なのです。

7,この般若心経の写経は、真心を込めて書かれたものを、一枚残らず土・水・空気(火)に処置し(【三気の処置】)この世に残さないことが鉄則です。 御供養・土地の浄め・その他様々の目的に、所定の枚数がたまったら処置をして、一枚残らず御自分の手元から離して速やかに処置をして行くことが鉄則です。

8,何万年も前からの大地に染み付いている因縁は、一度や二度の写経の処置では浄化出来ませんが、処置をし続けることで、それは可能となります。 また「橘流写経」の「三気の処置」をする方が増えれば、それだけ早く地球が浄化が出来ます。

9,私達は罪穢れ(カルマ・めぐり)の気を浄化して、地上を人間のみならず、万象万物に住みよい世界へと積極的に変えて行かなければなりません。 地球及び万物の罪穢れ(カルマ・めぐり)を浄化する為に、媒体となるものに罪穢れ(カルマ・めぐり)の気を染めこまなければなりません。

10,その時媒体となれるものが「般若心経」で、他の経典では通りません。 この般若心経の処置をされ、様々な現実に抱えた問題に対しての解決をされ、新しく甦えることの出来た方も今まで数多くおられます。 私達のご先祖は今もこの世に残した思いを抱えておられます。 ご先祖に対してそのカルマの働きを働けなくして差し上げることを「供養」といいます。 真心からの御供養を「般若心経」を用いて行うことによって、生きていた時代の苦悩の思いを解消して、お幸せな御魂となって甦っていただくことが出来るのです。
11,病の床にあっても精一杯の思いで書かれた「般若心経」を用いてご供養をされて、見違えるように元気になった方もあり、健康な方でも徐々に生命力(生命波動)が強くなり、少々の事は跳ね返せるようになった方もおり、それがどれ程沢山の方に希望を与えているものとなっているか語り尽くせぬ程のものがあります。 私達の御先祖も私達と共にカルマの気に苦しめられています。

12,ご先祖のご供養は「地球浄化」の為に大切なこととなり、ご先祖を在らしめた御神霊も、私達が罪穢れ(カルマ・めぐり・思凝)の気に苦しめられている姿から、一日も早く脱却して「地球を浄化」して行くことを願われております。私達人類が地球上の穢れに苦しめられていることは、とりもなおさず、御神霊を私達人類の穢れによって苦しめていることになることをお伝えしたいのです。【地球浄化】は自分のみの狭い範囲の問題でなく、人類に課せられた【大いなる使命】となります。

13,私達人類が罪穢れ(カルマ・めぐり・思凝)の気を融かし、融合と調和の世界に甦ることで、本来のお働きの出来る方に甦ることが出来ます。それは真の日本・世界になる為にも必要なものであります。そのことを【橘流写経集中講座】では、詳しくお伝え出来たらと思っております。

2009年9月15日火曜日

「ひふみ神示」・「日月神示」と榛名(ハルナ)の御用







【「ひふみ神示」・「日月神示」と榛名(ハルナ)の御用】

一昨日、平成21年9月13日は、己丑(つちのとうし)・九紫火星の年の、癸酉(みずのととり)・七赤金星の月辛酉(かのととり)・六白金星の日でした。

この「辛酉(かのととり)」の日や年は、大本の時代から、大変「神的」に意味のある「神日」・「神年」です。

この「辛酉(かのととり)」の年である、大正10年(1921)2月12日に始まった「第1次大本弾圧」は、中国の「辛酉革命説」や、神武天皇の大和平定の年(B.C660年・辛酉の年)との関係で、国祖国常立太神の御発動の大きな「節目」だと言われています。

この1921年「辛酉(かのととり)」の年の「大本第1次弾圧」から、本年平成21年・2009年は、「88年目」の年に当たります。この年が、19「21」年、そして本年が、平成「21年」です。

この「21」という数霊、「22」という「立体的完成数」に至る「最後の数」という神義があります。言わば「一つのことが終わり、新たなものが胎動し始める」という神義があります。

それ故、この「21」に御神縁のある年は、「変化」「転換」に強く御神縁があります。

「ひふみ神示」・「日月神示」においてもこの「辛酉(かのととり)」を「神日」として、多くの御神示が、この「辛酉(かのととり)」の日に天授されています。

「9月」のこの「辛酉(かのととり)」の「神日」に、関東の「北の要」の神山であり、「榛名富士」の別名のある「榛名山」と、その側にあり、「鉾(ほこ)岩」・「御姿(みすがた)岩」の「奇岩」・「神岩」のある、「榛名神社」に御参拝して来ました。

岡本天明先生も、御神示により、この「榛名山」の外輪山の「蛇ヶ岳」での御神業を、同志の方の協力によってされています。昭和19年7月の事でした。

【参考となる御神示】

【ひふみ神示・日月神示】

【第2巻・下つ巻・第1帖(43)】(昭和19年7月12日)



この7月12日は、大本の出口王仁三郎聖師の「御生誕」(旧暦)の神日でもあります。

【富士は晴れたり日本晴れ。青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水あるそれ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。蛇(じゃ)が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、人の登らぬ様にして、竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ、神急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ。天晴れて神の働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神がみちみつることぞ。金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。七月の十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。】

【第2巻・下つ巻・第3帖(45)】(昭和19年7月13日)

この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神の見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだ分らんか、何もかも神がさしてあるのぞ。心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開きまことに結構であるぞ、神が烈しくなると、神の話より出来んことになるぞ、神の話 結構ぞ。七月の十三日、ひつ九のかみ。】

この御神示の「木の型」とは、殆ど知られてはいませんが、「榛名の御用」で、「蛇ヶ岳」から戴いて来た、「御神木」だと言われています。一時期、それをお祀りされていたと言うことです。

【第2巻・下つ巻・第27帖(69)】(昭和19年7月31日)

【この方は祓戸(はらへど)の神とも現はれるぞ。この方祀るのは富士に三と所、 海に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。富士は、榛名(はるな)に祀りて呉れて御苦労でありたが、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、 海の仕組も急ぐなれどカイの仕組早うさせるぞ。江戸にも三と所、天明の住んでゐるところ奥山ぞ。あめのひつくの家、中山ぞ、此処が一の宮ざから気つけて置くぞ。この方祀るのは、真中に神の石鎮め、そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、そのあとに三つ七五三とひもろ木立てさすぞ。少しはなれて四隅にイウエオの言霊石 置いて呉れよ。鳥居も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、このことぞ。】

【第11巻・松の巻・第14帖(305)】(昭和20年6月29日)

【裏切る者 沢山出てくるぞ、富士と鳴門の仕組、諏訪(スワ)マアカタの仕組。ハルナ、カイの御用なされよ。悪の総大将よ、早よ改心なされ、悪の神々よ、早よ改心結構であるぞ。いくら焦りてあがいても神国の仕組は判りはせんぞ。悪とは申せ大将になる身魂、改心すれば、今度は何時迄も結構になるのぞ。日本の臣民人民 皆思ひ違ふと、くどう知らしてあろが。まだ我捨てぬが、水でも掃除するぞ。六月二十九日、あめのひつぐのかみ神示。】

【蛇ヶ岳】(国土地理院マップ)

http://www.gsi.go.jp/WNEW/LATEST/special00-01-Miyama5.htm

大本は、この「榛名」の地を、御神業的には「霊界物語」の影響もあり、敬遠する傾向にありました。
岡本天明先生に降ろされた神様は、この「大本の御経綸」に対して、より「神転」した御神業を「神命」されたと解されます。

それは、日本の「霊的国防」のために、この関東の「北の要」の山の一つである、「榛名山」の御神業が不可欠であると、御神示されたことが大きな要因だと解されます。

今回の「榛名富士」にも代表される、「富士」=「円錐形の神山」という、日本の「祖型的・神的象徴」は、大本の「霊峰富士」を「真中の山」・「光の機軸」として、実は「全国」に神的に張り巡らされているのです。

それは、言わば「富士ネットワーク(光結び)」とも言える「光のエネルギーシールド」でもあります。

このネットワーク(光結び)を「再霊化」・「再光化」させる「御神業」が、この「超激変」する現代においては、「神的に急務」であることはも言うまでもありません。


写真は、「榛名山」・「鉾(ほこ)岩」・「御姿(みすがた)岩」です。

【榛名神社HP】

http://www.haruna.or.jp/27.html

岡本天明先生が、何故榛名山系のこの「蛇ヶ岳」を御神業の地に選んだかは、今となっては謎となっています。

ただ、この「蛇ヶ岳」で戴いた、「龍」の形の木を、一時期天明先生の寓居であった「奥山」(当時は二子玉川だと思いますが)にお祭りされていた様です。これは、亡くなられた岡本三典氏からお聞きした話です。
「榛名山」は、ある意味で本物の富士よりも、「富士らしい」円錐型のお山です。榛名湖の存在も、恐らく、そこにいらっしゃる「御龍神様」との関係で「特別な存在」だったのだと思います。

この「榛名」そして「赤城」、さらには「妙義」の、いわゆる「上毛三山」は、その形が地理風水上で、それぞれ違った意味を持っています。

大本では、赤城の小沼の「御龍神」がいて、二代すみ教祖がそれを「龍宮の乙姫」としてお祭りされています。「赤城小沼龍神」と言います。

今でも、大本の信徒連合会が、御教主を呼んで、毎年秋にお祭りをされています。私も何度かこのお祭りには参加したことがあります。

ただ、「榛名山」と「榛名湖」に関しては、「霊界物語」で、「悪役」の神様がいるとして、大本では「敬遠気味」だと言うことです。

岡本天明先生に掛かられた神様は、「悪神をも改心させる」言う御神示の通りに、この「富士」に擬せられる「榛名富士」の御神霊を、御経綸上では大切な神様として考えられたのではないかと思います。

2009年9月12日土曜日

9月27日(日曜日)第7回『実践意識光学』連続講演会のお知らせ!







【9月27日(日曜日)第7回『実践意識光学』連続講演会】のお知らせ!

【主要なテーマ】

【2012年魂の超転換(ソウルアセンション)と超激変の時代を生きる『多次元的自己』から『光の自己』実現への超実践マニュアル!】

【概説】

平成21年9月「大きな意識のうねりの発動する月」であると感じます。
大切なのは、「時を感じ、時に真向かい、そして時に動く」ことだと感じます。

前回9月6日、【2012年魂の超転換(ソウルアセンション)と超激変の時代を生きる『22の光則』の全て!】と題して、「神典日月神示」に光蔵されている、「意識光学的『光則』」を、この「超激変の時代」に生き抜く「光の指標」として、お話することが出来ました。

今回は、その『各論』・『実践的修法』的要素をお話する予定です。
つまり、私たちが、いかなる「魂の指標」・「意識の光標」「光の機軸」として持つべきかについて、かなり深い内容と、ある程度の「実修」を予定しています。
ここで大切なのは、「意識の変容」から「魂の光華」へという「光程」(光のプロセス)です。そして、大切なのは、今回のテーマにもなっています、【多次元的自己】の認識、そして【光の自己】への「光越的遡光」ということです。

これらは、言葉で言うと難しいものですが、自己の「魂のスイッチ」を切り替えることで、案外その「至光性」への「光のプロセス」が獲得出来るものなのです。

私は、「アセンション」を、現実的な事象の「劇的変容」という面に先立って、人間の「魂」の「劇的精華」、「魂の光相転位」であると主張して来ました。この「転位」という事は、60年以上も前に神典「ひふみ神示」の中にも、確かに神示かつ黙示されているものであったことは、前述した通りです。

そしてこの「魂の光相転位」・「ソウルアセンション」を迎える私たちに、大きな「示唆」を与えてくれるのが、「祖型国家」日本に胎蔵されていた、秘教的霊学の中にある、「魂の叡智」・「極光への光程」であるということも、前述した通りです。

そして、最近急激に現象化している「天の異象」・「人の異象」・「地の異象」は、まさにこの「魂の光相転位」・「ソウルアセンション」への一つの大きな「序章」であると考えられます。それらの「光義」を、的確に捉えて、自己の「意識の変容」から「魂の光華」への「ユニヴァーサル・トリガー」(「魂の光華への外在的契機」)であると考えられるのです。

これらの、「ユニヴァーサル・トリガー」(「魂の光華への外在的契機」)と共に、最も重要な、もう一つの「ユニヴァーサル・トリガー」が、「普遍的な魂の光華のための叡智との触れ合い」です。それが、言ってみれば、「魂の光華への内在的契機」とも言えるものです。

そして、忘れてはいけないのが、私たちが、現在最も「意識の変容」から「魂の光華」への「至近距離」に位置すると思われる、この「日本」という「魂の祖型性」の「光蔵」された神磁場に暮らしていることです。

この「魂の光華への地縁的契機」という「ユニヴァーサル・トリガー」を持つ私たちは、これからを生きる上で、より強い「光命」を持つことが宿命付けられているのだと感じます。

これら、「天」・「地」・「人」三要素の「真釣り合わせ」によってのみ、実は、魂の超転換(ソウルアセンション)・「光相転位」は私たちの中で、「発動」していくものだと解されます。
まさに、私たちは、「魂の光華」への「天の縁」・「地の縁」・「人の縁」を具有していることを感謝しなくてはならないでしょう。

前回の講座での【2012年魂の超転換(ソウルアセンション)と超激変の時代を生きる『22の光則』の全て!】では、【宇宙の三大実践則】、さらには、【神典ひふみ神示の三大実践則】の「光脈上」にあるもので、私たちがいかに、これからの「時代潮流」の中で「生き抜いていくのか」の【総論的部分】がその主要なテーマでした。

今までの既成の価値観を維持しているだけでは、絶対に「行き詰る」ことは不可避な時代が、今眼前に立ち現れようとしており、まさに、「裏が表になる」、「超転換」の時代の到来が眼前に立ち現れつつあります。

私たちが政治的リーダーとして「選択」した人も、その政治的姿勢の当否は別にしても「宇宙人」と「揶揄」されながら、その御婦人と共に、実は、「見えないものを見る」という重要な「何か」を私たちに、示しつつある「お役目」なのかも知れません。

このような「人間の変容」・「意識の進化」・「自己概念の転換」・「世界観の転換」を、否応なしに迫られて来る時代に生きる私たちは、現実にしっかりと足を着けつつ、その一方で、常に「見えざる大いなる時代の潮流」に対して、「意識」と「魂」のアンテナを張り続けていくことが求められているのです。

「ユニヴァーサル(宇宙的)な変容」は、まさにあなたから始まるもであるのです。そして、あなたの「魂の奥底」に眠る「光の自己」は、あなたの「変容」を、じっと待ち続けているのです。

全ては、「空間的自己」・「時間的自己」さらには「次元的自己」という、あなたの「魂の傾向性」を「多次元」的に認識し、それを新たに「光次元の自己」へと「光華」することから始まります。そしてそれは、あなたの「魂の傾向性」「光相の傾向性」を個人的に確認することになるだけでなく、秘教国家日本の「魂の叡智」への「光の扉」を万人に向けて開顕する「きっかけ」にもなるのです。

御神縁・御光縁のある方々の御参集を心よりお待ちしております。

   宇宙の「大愛」に抱かれつつ 岡田 光興 光拝

2009年 9月27日(日曜日)

【未来潮流研究会】2009年(平成21年)度・第7回『実践意識光学』連続講演会

人類光覚・光相転位(アセンション)・神典「日月神示」・世界情勢の超真相解明!

【テーマ】

神典『日月神示』と秘教的○ゝ(まこと)神道に秘められた
【2012年魂の超転換(ソウルアセンション)と超激変の時代を生きる『多次元的自己』から『光の自己』実現への超実践マニュアル!】

【日時】平成21年 2009年 9月27日(日曜日)
【時間】
   【講演会】
 【第一部】 13時30分~15時迄。
    講師  橘 千榮 (橘流写経教授・日本学研究会)
(途中、参加者による体験発表、研究発表有り。)
【テーマ】
【橘流写経における「多次元的自己」・「光の自己」への宇宙的・神義的意義」】(予定)

【第二部】 15時15分~17時30分まで。
     講師 岡田 光興 (未来潮流研究会 代表)
【テーマ】

神典『日月神示』と秘教的○ゝ(まこと)神道に秘められた
【2012年魂の超転換(ソウルアセンション)と超激変の時代を生きる『多次元的自己』から『光の自己』実現への超実践マニュアル!】

 【お茶会】=17時半から21時くらいまで。

 この「お茶会」で、出来る限り御参加された方の「ソウルチャート(魂の光象図)」の直接鑑定(簡略版)をさせて頂く予定です。前々回に講演テーマとしました、「ソウルチャート」ですが、好評に付き、個人鑑定の御依頼も多数お受けしております。
東京での、5月3日の「橘流写経」での「ソウルチャート」の鑑定がまだの方も、この「お茶会」にお出で頂ければ、その場で直接鑑定をさせて戴きます。

 また、【橘流写経】に関する、個人的な御相談、カウンセリングも、特別集中講座を受講された方を中心として、随時この場でお受けしています。(原則として無料です。)

【受講料】 講演会(第一・二部)3000円 お茶会  500円

【場所】隠田(おんでん)区民会館(1F正面)((JR原宿駅・地下鉄千代田線明治神宮前駅下車徒歩5分・表参道と明治通りの交差点近く。 )
渋谷区神宮前6-31-5

【電話】03-3407-1807
【地図】

http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%BD%C2%C3%AB%B6%E8%BF%C0%B5%DC%C1%B0%A3%B6%A1%DD%A3%B3%A3%B1%A1%DD%A3%B5&lat=35.6649125&lon=139.70791694&type=&ei=euc-jp&sc=3&lnm=%B6%E8%CE%A9%BF%C0%B5%DC%C1%B0%B2%BA%C5%C4%B6%E8%CC%B1%B2%F1%B4%DB&idx=33

お茶会からのご参加の方も、事前に事務局までお申し込み下さい。

【お問い合わせ先】

【未来潮流研究会 事務局】
【Tel・Fax】04-2963-8315

定員50名です。必ずご連絡をお願いします。
御都合により、講演会に御出席が出来ずに、お茶会のみの御出席希望の方も、事前に御連絡下さい。

2009年9月10日木曜日

9月が大変な時&地震前兆現象集







【9月が大変な時・ひふみ神示・日月神示・地震前兆現象集】

本年は、8月初頭に【8月ぐらぐら】という日記を書き、その後、8月11日「静岡沖地震」などの3度程の大きな地震が来ました。

9月になり、「防災の日」も終りましたが、世情は【8・30政変】の余韻とその後の経過に眼を奪われている感があります。

「天災は忘れた頃にやって来る」という格言の通り、最近の「地震」「天災」は、予想外の地域や時期に発生する傾向にあります。

『備えよ常に』。これは「ボーイスカウト」の標語ですが前兆現象】として、過去にどの様なものがあったのかは、大変参考になります。

8月11日の「静岡沖地震」の後も、「井戸水の水位の上昇」などが、静岡県の各地で観測されているということです。

【救震意識】を常に持って、何があってもあわてず、日頃から【防災】には心掛けたいものです。

1,【ひふみ神示・日月神示・第1巻・「上つ巻」・第十八帖 (18)】(昭和19年6月26日)

【岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、身魂みがき第一ぞ。この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分らん神の道ざから、よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、何でも分らんこと無いやうに、この神示で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでゐて呉れよ。神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。六月二十六日、ひつくのかみ。】

2,【ひふみ神示・日月神示・第1巻・「上つ巻」・第十五帖 (15)】(昭和19年6月24日)

【今度は末代動かぬ世にするのざから、今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、六ヶ敷い道(おしへ)ぞ。縁ある人は早く集めて呉れよ、縁なき人いくら集めても何もならんぞ、縁ある人を見分けて呉れよ。顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなるところまでになるぞ、今のうちにこの神示よく読んでゐて呉れよ。九月になったら用意して呉れよ。六月の二十四日、ひつくのか三。】

さらに、亀井義次氏の本『地震の起こるとき』から抜粋した、【関東大地震の前兆現象】を掲載しておきます。日頃の「宏観現象」を観察する姿勢が大切だと感じます。

【関東大地震の前兆現象】

大正12年9月1日11時58分相模湾海底で地震発生。
地震の規模が大きいのに比例し、異常も数ヶ月前から各方面で発生。

地震の規模が大きいのに比例し、異常も数ヶ月前から各方面で発生。
相模灘海底で数10~300mもの隆起および陥没が発見されたが、これは地震時に生じたのではなく、地震前に生じていたらしい。三浦半島、房総半島では住民が「年々浜が減少していく」と述べていた。

【3月~4月ごろ】

●鎌倉、藤沢あたりで毎夜大砲を撃つような音が聞こえ、ガラス戸が破れんばかりの振動を受けた。大島の噴煙は火柱となり、夜間は殊に美しかった。

【5~6月ごろ】

●5月下旬から6月初旬の間、水戸・銚子で有感地震急激に増加、いったん収まり、9月1日相模湾で大地震発生。
●山中湖の湖水が全面的に濁った。精進湖は6m位減水した。
翌年1月15日の地震にも東側3分の2が濁った。
●南葛飾でネズミの集団移動があった。

【7月 】

●練馬石神井でネズミの集団移動があった。

【8月】

●伊東市で漁具がまったく売れなくなった。相模湾でまるっきり魚が取れなくなったので漁具も不要になった。海の中が濁ってあぶくが吹いているようだった。
●川崎市北端の耕地付近の水田や小川で非常に多数の小ナマズが繁殖した。この様なことはこれ以前、以後一切ない。
●川口市で、震災の起こる前ナマズが非常に繁殖した。古老は地震の前後、地熱の上昇でナマズが繁殖するのではないかという。その後このようなことは無い。
●品川猟師町(現在の品川1丁目)で井戸水が涸れた。安政の大地震の前にも涸れたので調べてほしいと通報があった。大地震後は復旧した。(現在この井戸の所在不明)
●この井戸の西方数百メートルの春雨庵という寺で、20m離れて2つある井戸の丘側(八ツ山)の境内の井戸水が鉄臭く煎じ薬のようなにおいがして飲めなくなった。地震後しだいに回復した。現在も北品川4丁目春雨寺の境内にあるが、工場排水の影響かアンモニアが多く飲用には使用していない。この井戸の水位の増減やにおいがあれば要警戒か。

【2週間くらい前】

●伊豆半島で海女が海底から盛んに泡が立ってるのを見た。その後、あわびが岩に硬く吸い付いて容易に取れなくなった。
●木更津浜で局所的に、くみ潮現象(満ち潮の途中に30分~1時間急に潮が引く。引き潮の途中に30分~1時間急に満ち潮が混じる)が発生した。
●隅田川でメダカやフナがたくさん水面に浮かび、パクパクしており、素手ですくい上げることができた。
●浅草三筋町で、イヌが2週間前からあちらでもこちらでも遠吠えしていた。近所の人たちは何か変事があるのではないかと気持ち悪がった。(別の地域でも同じ報告あり)

【1週間くらい前】

●鎌倉由比ガ浜と材木座の間を流れる川ぶちで、足元がムズムズするので下をつかむとハゼが5、6匹とれ、川底の窪みを両手でつかむと一度に10匹くらいとれ、結局4リットルとれた。
●東神奈川の海岸寄りの運河で、ハゼが異常に発生。
●ネズミが江戸川の市川橋の下の水道管を伝わって逃げた。昼は人に見えないように、また人が邪魔しても夢中で逃げ、夜も水道管を伝わって逃げた。これが見られなくなって、2日後大地震おこった。
●大田区中央、春日神社近くの井戸6~7ヶ所で、井戸が出なくなり、風呂に入れずどうしょうかと相談している時地震がおこった。
●神奈川県中郡南秦野村今泉付近の井戸で、9月の大地震前に水位減少、地震後増加した。又、翌年1年15日の地震前にも減少して、その後又増加した。

【2日前】

●横浜鶴見区潮田のかいがんでカニが陸に向かってぞろぞろ這っており、短時間に大びくに入らぬほど取った。
●横須賀市安浦町でも防波堤に無数のカニが這い上がり1時間に500匹とれた。
●品川の相州楼ではいつも勝手口の残飯にドブネズミがうろうろしていたが、記者が写真を撮ろうと来たところ、その日に限って1匹もいなかった。相州楼の主人が講談師に話したところ「てっきり地震だぜ、安政もそうだった」と言った。その通りになった。
●朝いつもなら1羽のカラスが、当日は20羽騒々しく鳴きたてながら飛び交っていたが、30分位でいつの間にか姿を消した。
●東京市の空の一部に猛烈にかなり長時間にわたり音響なしの光があり、はじめ珍しげに見たが不気味となり眺める人も減り家に入った。
●身延鉄道のトンネルの中で時計の夜光がみえず、結局2日前から地震翌日までの期間のみ効力を失った。今でも時計の夜光は効力を持続している。(S50年頃の時点で)
●鎌倉市長屋で、月が火の玉を上げたように真っ赤であった。翌日(地震の前日)夜11時頃の月も真っ赤であった。地震の過ぎた9月1日の夜の月は、すでに青い月で清い光を投げ出していた。

【前日】

●大森海岸で悪潮現象(海面の潮流と海底の潮流が逆に流れる)が発生。魚網の袋の部分がひっくり返った。
●蒸し暑く不快な日で頭痛がした。夕方5時ごろ帷子(かたびら)川の上流今井川でイナの大群が水面に口だけ出して上流へ上がっていった。さらに下流の石垣の間という間に数えきれないほどのウナギが首を出して、石を投げても動こうとしなかった。
●酒匂川でアユのどぶ釣りしたが、午前まったく釣れず、午後驚くばかりの入れ食いとなった。翌日の大地震で、このあたりはがけ崩れで惨憺たるありさまとなった。
●海岸で投網を投げると30cmくらいのウナギがバケツ3杯もとれた。
●夕方、東京赤坂福吉町十字路の電柱の電線をねずみの列が通り、竹ざおで驚かしたがわき目も振らず30分間自宅の土地へ入った。その夜コトリとも音がせずネズミは一匹も自宅にいなかった。
●東京本所の米屋で、いつもはネズミで困っていたが、米倉の網を食い破って中にいたネズミが押し合いへし合いしながら外に逃げた。
●月が天の一角に火の玉をあげたように真っ赤だった。
●夕方世田谷で、西の空を真っ赤な雲とどす黒い雲が重なり合っているのを見て恐怖に襲われた。

【当日夜明け前】

●午前3時品川沖の漁船が西南の方向に発光を見た。その光で新聞が読めるほどであった。

【当日早朝】

●朝日には蛇のような雲が幾重にも巻いていた。
●午前6時箱根堂ヶ島の大和屋の温泉が泥濁りとなり、入浴中体がみえない程で奇異に感じた。地震起こると湧出止まったが、3日後復帰した。
●朝、三島の湧き水が濁ったが、古老がそれを聞き「安政の地震の時にも濁ったから近く地震があるかも知れぬ」と言った。
●朝、深川より東京湾の方にピカピカ光る光を見た。光が日中見えるのは珍しいことである。
●初島(熱海沖)付近で水平線上に稲妻が走った。音はしなかったが大変なことが起こるぞと話し合い、漁をやめて岸に引き返した。

【当日地震直前】(10~12時)

●10時過ぎ、青空に今まで見たことも無いどす黒い凄みのある入道雲が現れた。いつもの入道雲と違いあとからあとからわき出し、雲の境の一部がものすごく光った。
●朝から曇ったり照りつけたり、頭の痛むような天気だった。
●漁師が漁業近くでタラ科の深海魚がたくさん死んで浮んでいた。なにか変事があるに違いないと思い、すぐ陸に引き返したところ、まもなく地震発生した。
●10時ごろ相模川で、アユ、ハヤなどが打ちよせ、気持ちが変になるくらいとれた。夢中になっていると突然地震発生。
●11時頃から磯子近くの中村川にイワシの大群現れ、虫取り網でいくらでもとれていた。横浜大岡川でも同様イワシの大群現れた。
●太陽が真っ赤だねと言いあっていると、突然ぐらぐらときた。
●気味の悪い、音でない唸りが聞こえなんだろうと思っていると、ガタガタとすごくゆれ始めた。
●東京湯島でセミが木の低いところや地面におりて手で簡単に捕まえることができた。直後ぐらぐらときた。

【地震後】

●余震の起こる前、必ず発光現象を伴うので「アッ、また光った、それ地震」というように家を飛び出して避難した。

【出典】

http://www.m-technical.jp/namazu/zenchou.html

2009年9月8日火曜日

9月8日の仕組み・「9の仕組み」







【9月8日の仕組み・「9の仕組み」】

自民党の両院議員総会今日、9月8日に開かれた。
以下、【朝日ドットコム】より。

【――よろしくお願いします。今日の両院議員総会で、首班指名では若林両院議員総会長の名前を書くことが決まったが、総理の受け止めを。

 (麻生首相)「よかったんじゃないですか。両院議員総会で、色々なご意見が出た結果、えー、両院議員会長の若林先生の名前で、を書こうというので、あの場で結論を出したということですから、みんなで、それで、賛成をされて結論が出たんだから、これで、再生をする一つのスタートのきっかけとしてはよかったと思いますけれども」

 ――両院議員総会長の名前を首班指名で書くということは、これまでになかったと思いますけれども、国民の理解を得られると思いますか。

 (麻生首相)「国民の理解を得られるか。私はまあ少なくとも自由民主党が再生をしていく、一致団結するという意味では、よ、よかったと思います」

 【総裁辞任】

 ――今朝の自民党の役員会で、総理は16日の午前中に自民党総裁をお辞めになる考えを表明されたが、なぜこのタイミングでお辞めになるのでしょうか。

 (麻生首相)「はあ。辞めるという話は、8月の31日の日も、に、既に表明をしております。従って辞めるという話は、もうだいぶ前に申し上げております。両院議員総会の前に、や、あ、両院議員総会じゃなかった、首班指名の前に辞めるという話を申し上げたのは、首班指名の時に、自由民主党の総裁のままだと、総裁の名前を書くべきだという意見もあれば、辞めるといった人の名前を書くのはおかしいという意見もあったり、別の名前を書くべきだと、色々ご意見がある。それはそれなりにみな正しいと思います。従って、自由民主党総裁を午前中に辞める、すなわち、内閣総辞職をすることになりますんで、その段階で辞めるということで、総総分離という話もきちんと整理が出来ますし、その意味では、16日の午前中というのはタイミングとしては、私としてはいいのではないかと思いましたんで、それで、少なくとも麻生太郎と書くという理由なり必然性はそこでなくなりますんで、その後きちんとした形で、両院議員総会を開いて、若林さんに決まったという道筋をつける。混乱をするというのは最も避けたいところでありましたから、混乱を避けて、道筋をつけていくという方法として、あの段階で辞めるというのを申し上げたんですけれども、まあ、結果として、若林さんということで決まりましたんで、私どもの考えている通りになったと思っております」

【朝日ドットコム】
http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY200909080290.html?ref=goo

最近、記者団の質問をシャトアウトしていたので、久しぶりの「肉声」を国民も記者も聞いたことになる。あとは、野党としての「次期総裁選」の時に登場することになるのだろうか。

大本から、この「9月8日」、「特別な日」とされています。
元々、この「9月8日」は、「明治維新」の狭義の意義とされる「明治改元」が、1868年10月23日(旧9月8日)となっていることにその淵源があるとされています。

つまり、「新たなる切り替わり」の意義が、この「9月8日」(旧9月8日)には、神的に込められている訳です。

大本の出口王仁三郎聖師の神示『伊都能売神諭(いづのめしんゆ)』にも、「辛(かのと)の酉(とり)の紀元節、四四十六の花の春、世の立替立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組」(大正8年1月27日)という神示があります。出口王仁三郎聖師は「辛酉(しんゆう)の年は深憂(しんゆう)だ」とも警告しています。

大本は、大正10年(1921)の2月12日「第一次大本事件」として、政府から弾圧を受けましたが、この年も辛酉(かのととり)でした。
この年の旧9月8日、出口王仁三郎聖師に霊界物語を執筆せよという御神命が下り、それから10日後の旧9月18日(新10月18日)から「霊界物語」の口述を開始しました。
ですから、大本では、「9月8日」とは「霊界物語」の口述を神様から神告された日とされてます。

また、出口王仁三郎聖師は、『真如の光』(昭和6年10月18日)の中で、「9月8日」についてこう述べています。

「九月八日は大本にとってふしぎな日である。本宮山(ほんぐうやま=京都府綾部市の大本聖地にある山=筆者注)は、一名桶伏山(おけふせやま)といって、大本教旨を書いた大きな天然石を彫刻したなりで時機がくるまで伏せておいて、蒙古入りをした。帰ってきてもまだおこす時機がこなかったのであるが、その石を本年九月にはいって、神さまからはじめて早く建ててくれといわれて建てた。気がついてみると、新の九月八日に建てあげていた。それから十日後の九月十八日には満州問題がおこるとあらかじめいっておいたが、そのとおりにおこった」
さらに、続けてこうも言っています。

「八日というのは、すべて意味のある日であります。八というのは開くという字である。……それで、どうしても今度の満州事変といい、いろいろと世の中におこってくることは、これはもう神界の経綸が実現の緒(ちょ)についたことであるということをお考えになってさしつかえないのであります……」
(参考・「巨人出口王仁三郎」出口京太郎著)

日本の社会情勢に眼を向ければ、戦後日本の独立を回復した、サンフランシスコ講和条約、昭和26年9月8日に調印されました。このサンフランシスコ講和条約の発効によって、翌年の昭和27年4月28日に日本は、GHQの占領統治を脱却して独立を回復したのです。その意味で、「戦後」は「9月8日」で始まったと言っても過言ではありません。

 これに対し、「ひふみ神示」・「日月神示」では、「9月8日」・「旧9月8日」は、やはり、大神様の「切り替わり」の神刻(かみとき)とされています。

今回の自民党両院協議会での、「麻生首相の発言」も、8月31日にも同趣旨の発言があったものの、「自民党の55年体制の終焉」という、「戦後政治の大分岐点となる公開された発言」となっていると感じます。
世情の人も、今回の両院協議会の麻生首相の姿を見て、「ああ、自民党の政権もやはり終わったんだな」と感慨を持たれた方も多かったのではないかと思います。

以下「ひふみ神示」・「日月神示」の「9月8日」・「旧9月8日」の御神示を幾つか挙げてみたいと思います。

【ひふみ神示・日月神示・『キの巻』・第十四帖 (二七一)】(昭和20年3月17日)

【三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ、心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、九月八日の仕組近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。一時はこの中も火の消えた様に淋しくなってくるぞ、その時になっておかげ落さん様にして呉れよ、神の仕組愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。三月十七日、ひつぐの神。】

【ひふみ神示・日月神示・『日月の巻』・第十帖 (183)】(昭和19年10月25日)

【ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。 辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。 と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。十月二十五日、ひつ九のか三。】

【ひふみ神示・日月神示・『青葉の巻』・第二十帖(489)】(昭和22年8月10日)

【己の心見よ、いくさまだまだであろが、違ふ心があるから違ふものが生れて違ふことになる道理分らんのかなあ。世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組近付いたぞ。人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて、誠知らしたこと毒とならん様 気つけておくぞ。薬のんで毒死せん様に気付けよ。今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな、つくった神や神の許しなきものは皆メチャメチャぢゃ、三千世界に手握る時と知らずに、 (た)の世界、も十の世界を知らんからさうなるのぢゃ、火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、と交通出来るのぢゃ、人と云っても人間ではないぞ、ヒトカミざぞ、手握って三千世界に天晴れぢゃ、この道神の道ぢゃ、光の道ぢゃ、教ぢゃ、悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と握る手持ちて御座れよ、心持ちて御座れよ、びっくり嬉し箱あくぞ。八月十日、ひつ九 。】

【ひふみ神示・日月神示・「水の巻」・第9帖(283)】(昭和20年6月2日)

【旧9月8日とどめぞ。】

【ひふみ神示・日月神示・「松の巻」・第3帖(294)】(昭和20年6月19日)

【神烈しく、人民静かにせよ。云ふた事必ず行はねばならんぞ。天から声あるぞ、地から声あるぞ。身魂磨けばよくわかるのざぞ。旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心 獣ぞ。神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはその事ざぞ。六月十九日、あめのひつ九のかみ。】

2009年9月1日火曜日

日月神示と「天災・人災」







【日月神示と「天災・人災」】

本日は、9月1日「防災の日」。
9月は、神義上も、大変重要な意味がある月です。
ここで、【ひふみ神示】【日月神示】の中の「天災」「人災」に関する御神示を幾つか掲載して、皆さんの御研究の参考にしておきたいと思います。

1,【ひふみ神示・第27巻・春の巻・第49帖(706)】(昭和27年)

天災や地変は大き肉体の応急処置の現れであるぞ。部分的に、人間苦しめる様に思ふてはならん。一日一度は便所へ行かなならんであろうがな。人間、この世の五十年をもととして考へるから判らなくなるのざ。永遠弥栄の生命、早う体得結構。】

2,【ひふみ神示・第24巻・黄金の巻・第92帖(603)】(昭和25年1月3日)

【つつましく、正しくして行けば その国々で一切不足なく暮して行けるやうに何も彼も与へてあるに気付かんのか。天災地変は人間の心のままと申してあらう。豊作、凶作心のままぞ。今のままで行けば何うなるか、誰にも判らんであらうが、神示通りに出て来ること、未だうたがってゐるのか。ひつくとみつくの民あると申してあらう。ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受ける。愛に受けると直ちに血となり、智に受けると直ちに神経と和して了ふのであるぞ。二つの民の流れ。(一月三日)】

3,【ひふみ神示・第8巻・磐戸の巻・第7帖(243)】(昭和20年1月7日)
人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、真通理(まつり)第一と申すのざ、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。右行く人、左行く人とがむるでないぞ。世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道はマナカゆく道とくどう申してあること忘れるなよ、今迄の様な宗教や教の集団(ツドヒ)はつぶれて了ふぞ、神がつぶすのではないぞ、自分でつぶれるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教であるぞ。この神の申すこと、天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチざぞ。今度の岩戸ひらきの大望(たいもう)すみたとて、すぐによいことばかりではないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、すなほに、神の申す通りにするのが何より結構なことざぞ。一月七日、 のひつ九か三。】

86年前の今日、9月1日、「関東大震災」が発生しました。

「8・30政変」「大敗」した自民党政権も、この現代に起これば、「首都圏喪失」・「首都機能喪失」にもなりかねない「首都直撃地震」に対しては、真摯な気持ちで取り組んでいると感じました。

特に今年は、8月に「8・11静岡沖地震」等があり、「ひふみ神示」にある「8月ぐらぐら」が「実感」された年でした。

以前にも指摘しましたが、2004年は、7・8月に集中豪雨が多発し、そして2~3ヶ月後の10月に「新潟中越地震」が発生しました。
地盤の緩みと地震発生の相関関係は、それなりに注意すべきものと考えます。

また、自民党が連立政権を組んだ1995年の村山内閣の時に、「阪神大震災」が発生しました。

社会事象の「激変」と「天変地異」とは、微妙な「相関関係」があるというのが、私も含む、この様なことを研究している者の共通意見です。

1995年の「阪神大震災」の時も、「関西には大きな地震は来ない」という「風評」で、木造建築などもかなりその耐震性がおろそかになっていたと言われています。

個人個人の「危機意識」を、実際の住まいに「適応」させて、「それぞれの防災対策」を見直す、今日の「防災の日」であると感じます。

民主党政権も、この「地震対策」と「危機管理」にも、十分な対応を期待したいものです。

特に最近問題になっている、公共施設や学校の耐震化は、急務だと感じます。昨年の中国の「四川大地震」でも、学校が「崩壊」し、多くの幼い命が奪われました。

【参考】
【最初で最後の麻生首相指揮 首都圏防災訓練】
9月1日15時40分配信 【産経新聞】

【「防災の日」の1日、政府は首都直下型地震を想定し、神奈川県など首都圏8都県市と連携して川崎市や首相官邸をメーン会場に総合防災訓練を実施した。この日は東海地震の想定訓練などもあり、31都道府県で計約79万5千人が参加する予定。

 首都直下地震はマグニチュード(M)7・3、震度6強と想定。首相官邸では、麻生太郎首相らが参加して臨時閣議を開き、緊急災害対策本部を設置した。首相として最初で最後の参加となる見通しの麻生首相は、模擬記者会見で「国民は関係機関の指示に従って落ち着いて行動してください」と呼びかけた。

 首相はその後、川崎市・扇島東公園で行われた8都県市の合同防災訓練を視察した。】


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090901-00000091-san-soci
写真は、伊豆の沼津の「淡島」と「富士」。そして、富士宮市から見た「赤富士」。