【身魂の「光別」】と「日月神示」】
日月神示によれば、身魂は「上」「中」「下」三段に「光別」されていると神示されています。
これは、来るべき「光の世」「御光の世」「喜びの世」「うれしうれしの世」「新しき光の世」「光の岸」「ミロクの世」等の言葉で神示されている「新たなる次元の世界」への「準備の程度の差」であると考えられます。
「一霊四魂」論を背景とした、日本の秘教的霊学の中に、「魂の光相転位」(ソウルアセンション)の秘鍵が太古より、封印れており、今この神刻(かみとき)に至り、それらが顕在化してきている感があます。
これらの、日本の秘教的霊学の中に「光蔵」されて来た、言霊、数霊、秘教的「霊魂論」等を背景にした、「ソウルチャート」「魂の光象図」の具体的解説を、7月19日の「実践意識光学」で解説します。
【7月19日(日曜日)第4回『実践意識光学』連続講演会のお知らせ】
http://histukishingi.blogspot.com/2009/07/blog-post_17.html
【第2巻 下つ巻 第20帖 (062)】(昭和19年7月23日)
【上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。七月の二十三日、ひつ九のかみ 。】
【第7巻 日の出の巻 第09帖 (222)】(昭和19年12月8日)
【人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、それが真実(まこと)の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、 ゝと〇と申してあろが、戦も ゝと〇と壊し合ふのでは無いぞ、 ゝと〇とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、神国真中に和すことぞ。それには〇掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、戦の大将が神祀らねばならんぞ。二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。神まつりは神主ばかりするのではないぞ、剣と鏡とまつらなならんぞ、まつはれば霊(たま)となるのざぞ。霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、】(以下略)
【第13巻 雨の巻 第02帖 (336)】(昭和20年10月14日)
【天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、 とは外国の事ぞ、(マルチョン)が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、びっくり箱あくぞ、八九の次は十であるぞよ。何事もウラハラと申してあろが、ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。】
(以下略)
日月神示によれば、身魂は「上」「中」「下」三段に「光別」されていると神示されています。
これは、来るべき「光の世」「御光の世」「喜びの世」「うれしうれしの世」「新しき光の世」「光の岸」「ミロクの世」等の言葉で神示されている「新たなる次元の世界」への「準備の程度の差」であると考えられます。
「一霊四魂」論を背景とした、日本の秘教的霊学の中に、「魂の光相転位」(ソウルアセンション)の秘鍵が太古より、封印れており、今この神刻(かみとき)に至り、それらが顕在化してきている感があます。
これらの、日本の秘教的霊学の中に「光蔵」されて来た、言霊、数霊、秘教的「霊魂論」等を背景にした、「ソウルチャート」「魂の光象図」の具体的解説を、7月19日の「実践意識光学」で解説します。
【7月19日(日曜日)第4回『実践意識光学』連続講演会のお知らせ】
http://histukishingi.blogspot.com/2009/07/blog-post_17.html
【第2巻 下つ巻 第20帖 (062)】(昭和19年7月23日)
【上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。七月の二十三日、ひつ九のかみ 。】
【第7巻 日の出の巻 第09帖 (222)】(昭和19年12月8日)
【人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、それが真実(まこと)の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、 ゝと〇と申してあろが、戦も ゝと〇と壊し合ふのでは無いぞ、 ゝと〇とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、神国真中に和すことぞ。それには〇掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、戦の大将が神祀らねばならんぞ。二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。神まつりは神主ばかりするのではないぞ、剣と鏡とまつらなならんぞ、まつはれば霊(たま)となるのざぞ。霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、】(以下略)
【第13巻 雨の巻 第02帖 (336)】(昭和20年10月14日)
【天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、 とは外国の事ぞ、(マルチョン)が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、びっくり箱あくぞ、八九の次は十であるぞよ。何事もウラハラと申してあろが、ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。】
(以下略)
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