【歌で岩戸開けるぞ。辛酉(かのととり)の「ひふみ神示」・「日月神示」】
【辛酉(かのととり)】という「神日」については、先日の日記で、御説明しました。 この御神示は、昭和24年に天授されたもので、「歌」の歌詞としての内容となっています。
【辛酉(かのととり)】について説明をした日記 】
【「ひふみ神示」・「日月神示」と榛名(ハルナ)の御用】
http://histukishingi.blogspot.com/2009/09/blog-post_15.html
最初の「ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。」という「神招(お)ぎ」の神詞を除くと、合計70首の「型歌(かたうた)」形式の御神歌です。
「七十(なると)」は「鳴門」に「神合」した神歌の数となっています。
「型歌(かたうた)」とは、岡本天明先生が創唱した「短詩型の御神歌」で、577形式で、合計19文字となり、「トコタチ数」となり、国祖国常立太神の「御神数」となります。
これを、実際に「歌う」ことで、より、「想念の浄化」・「魂の潔斎」がなされるとされています。
岡本天明先生も、実際にお祭りの際には、祝詞奏上の後に、「御神歌」を歌われていたと言います。
今は、その「歌い方」を伝える方も、ほとんどいないのが現状です。
9月27日(日曜日)の【第7回実践意識光学連続講座】では、「八雲神歌」という朗詠法によって、この「型歌形式の御神歌」を朗詠しました。
【9月27日(日曜日)の【第7回実践意識光学連続講座】】
この「御神歌の朗詠法」は、【真澄修法】という「御神歌朗詠による鎮魂帰神法」にも相通ずるものです。「霊学」の神奥を窮めんとされる方は、是非実践して頂きたい「修法」です。
皆さんも、是非御神示の「神歌」を朗詠し、各自の「神示の実践生活」を「再光化」されてはいかがでしょうか?
【「ひふみ神示」・「日月神示」第24巻・「黄金の巻」・第44帖(555)】(昭和24年かのととりの日)
【奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。
ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。
世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。
大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。
天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。
堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。
大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。
国原は、大波うちて、みふみを拝す。
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。
大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
天地の、光となりて、みふで湧き出づ。
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。
天地も、極まり泣かん、この時にして。
かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。
天地も、極まりここに、御代生れ来ん。
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
宮柱、太しき建てて、神のまにまに。
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。
言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。
ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。
大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。
今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。
ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。
みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。
さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。
みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。
いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。
追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。
と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
道端の、花の白きに、祈る人あり。
拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。
悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。
悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
かのととりの日。】
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