2009年9月29日火曜日

歌で岩戸開けるぞ。辛酉(かのととり)の「ひふみ神示」・「日月神示」





【歌で岩戸開けるぞ。辛酉(かのととり)の「ひふみ神示」・「日月神示」】

【辛酉(かのととり)】という「神日」については、先日の日記で、御説明しました。 この御神示は、昭和24年に天授されたもので、「歌」の歌詞としての内容となっています。

【辛酉(かのととり)】について説明をした日記 】

【「ひふみ神示」・「日月神示」と榛名(ハルナ)の御用】

http://histukishingi.blogspot.com/2009/09/blog-post_15.html

最初の「ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。」という「神招(お)ぎ」の神詞を除くと、合計70首「型歌(かたうた)」形式の御神歌です。

「七十(なると)」は「鳴門」に「神合」した神歌の数となっています。

「型歌(かたうた)」とは、岡本天明先生が創唱した「短詩型の御神歌」で、577形式で、合計19文字となり、「トコタチ数」となり、国祖国常立太神の「御神数」となります。

これを、実際に「歌う」ことで、より、「想念の浄化」・「魂の潔斎」がなされるとされています。

岡本天明先生も、実際にお祭りの際には、祝詞奏上の後に、「御神歌」を歌われていたと言います。

今は、その「歌い方」を伝える方も、ほとんどいないのが現状です。

9月27日(日曜日)の【第7回実践意識光学連続講座】では、「八雲神歌」という朗詠法によって、この「型歌形式の御神歌」を朗詠しました。

【9月27日(日曜日)の【第7回実践意識光学連続講座】】
この「御神歌の朗詠法」は、【真澄修法】という「御神歌朗詠による鎮魂帰神法」にも相通ずるものです。「霊学」の神奥を窮めんとされる方は、是非実践して頂きたい「修法」です。

皆さんも、是非御神示の「神歌」を朗詠し、各自の「神示の実践生活」を「再光化」されてはいかがでしょうか?

【「ひふみ神示」・「日月神示」第24巻・「黄金の巻」・第44帖(555)】(昭和24年かのととりの日)

【奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。

ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。  

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。  
御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。  
世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。  
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。  
三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。  
大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。  
天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。  
堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。  
したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。  
大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。  
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。  
国原は、大波うちて、みふみを拝す。  
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。  
大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。  
天地の、光となりて、みふで湧き出づ。  
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。  
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。  
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。  
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。  
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。  
天地も、極まり泣かん、この時にして。  
かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。  
天地も、極まりここに、御代生れ来ん。  
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。  
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。  
宮柱、太しき建てて、神のまにまに。  
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。  
言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。  
ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。  
ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。  
大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。  
今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。  
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。  
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。  
ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。  
言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。  
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。  
あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。  
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。  
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。  
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。  
みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。  
あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。  
さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。  
みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。  
いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。  
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。  
追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。  
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。  
みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。  
と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。  
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。  
たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。  
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。  
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。  
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。  
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。  
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。  
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。  
道端の、花の白きに、祈る人あり。  
拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。  
悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。  
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。  
御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。  
悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。  
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。  
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

      かのととりの日。】



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