【9月8日の仕組み・「9の仕組み」】
自民党の両院議員総会が今日、9月8日に開かれた。
以下、【朝日ドットコム】より。
【――よろしくお願いします。今日の両院議員総会で、首班指名では若林両院議員総会長の名前を書くことが決まったが、総理の受け止めを。
(麻生首相)「よかったんじゃないですか。両院議員総会で、色々なご意見が出た結果、えー、両院議員会長の若林先生の名前で、を書こうというので、あの場で結論を出したということですから、みんなで、それで、賛成をされて結論が出たんだから、これで、再生をする一つのスタートのきっかけとしてはよかったと思いますけれども」
――両院議員総会長の名前を首班指名で書くということは、これまでになかったと思いますけれども、国民の理解を得られると思いますか。
(麻生首相)「国民の理解を得られるか。私はまあ少なくとも自由民主党が再生をしていく、一致団結するという意味では、よ、よかったと思います」
【総裁辞任】
――今朝の自民党の役員会で、総理は16日の午前中に自民党総裁をお辞めになる考えを表明されたが、なぜこのタイミングでお辞めになるのでしょうか。
(麻生首相)「はあ。辞めるという話は、8月の31日の日も、に、既に表明をしております。従って辞めるという話は、もうだいぶ前に申し上げております。両院議員総会の前に、や、あ、両院議員総会じゃなかった、首班指名の前に辞めるという話を申し上げたのは、首班指名の時に、自由民主党の総裁のままだと、総裁の名前を書くべきだという意見もあれば、辞めるといった人の名前を書くのはおかしいという意見もあったり、別の名前を書くべきだと、色々ご意見がある。それはそれなりにみな正しいと思います。従って、自由民主党総裁を午前中に辞める、すなわち、内閣総辞職をすることになりますんで、その段階で辞めるということで、総総分離という話もきちんと整理が出来ますし、その意味では、16日の午前中というのはタイミングとしては、私としてはいいのではないかと思いましたんで、それで、少なくとも麻生太郎と書くという理由なり必然性はそこでなくなりますんで、その後きちんとした形で、両院議員総会を開いて、若林さんに決まったという道筋をつける。混乱をするというのは最も避けたいところでありましたから、混乱を避けて、道筋をつけていくという方法として、あの段階で辞めるというのを申し上げたんですけれども、まあ、結果として、若林さんということで決まりましたんで、私どもの考えている通りになったと思っております」
【朝日ドットコム】
http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY200909080290.html?ref=goo
最近、記者団の質問をシャトアウトしていたので、久しぶりの「肉声」を国民も記者も聞いたことになる。あとは、野党としての「次期総裁選」の時に登場することになるのだろうか。
大本から、この「9月8日」は、「特別な日」とされています。
元々、この「9月8日」は、「明治維新」の狭義の意義とされる「明治改元」が、1868年10月23日(旧9月8日)となっていることにその淵源があるとされています。
つまり、「新たなる切り替わり」の意義が、この「9月8日」(旧9月8日)には、神的に込められている訳です。
大本の出口王仁三郎聖師の神示『伊都能売神諭(いづのめしんゆ)』にも、「辛(かのと)の酉(とり)の紀元節、四四十六の花の春、世の立替立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組」(大正8年1月27日)という神示があります。出口王仁三郎聖師は「辛酉(しんゆう)の年は深憂(しんゆう)だ」とも警告しています。
大本は、大正10年(1921)の2月12日に「第一次大本事件」として、政府から弾圧を受けましたが、この年も辛酉(かのととり)でした。
この年の旧9月8日、出口王仁三郎聖師に霊界物語を執筆せよという御神命が下り、それから10日後の旧9月18日(新10月18日)から「霊界物語」の口述を開始しました。
ですから、大本では、「9月8日」とは「霊界物語」の口述を神様から神告された日とされてます。
また、出口王仁三郎聖師は、『真如の光』(昭和6年10月18日)の中で、「9月8日」についてこう述べています。
「九月八日は大本にとってふしぎな日である。本宮山(ほんぐうやま=京都府綾部市の大本聖地にある山=筆者注)は、一名桶伏山(おけふせやま)といって、大本教旨を書いた大きな天然石を彫刻したなりで時機がくるまで伏せておいて、蒙古入りをした。帰ってきてもまだおこす時機がこなかったのであるが、その石を本年九月にはいって、神さまからはじめて早く建ててくれといわれて建てた。気がついてみると、新の九月八日に建てあげていた。それから十日後の九月十八日には満州問題がおこるとあらかじめいっておいたが、そのとおりにおこった」
さらに、続けてこうも言っています。
「八日というのは、すべて意味のある日であります。八というのは開くという字である。……それで、どうしても今度の満州事変といい、いろいろと世の中におこってくることは、これはもう神界の経綸が実現の緒(ちょ)についたことであるということをお考えになってさしつかえないのであります……」
(参考・「巨人出口王仁三郎」出口京太郎著)
自民党の両院議員総会が今日、9月8日に開かれた。
以下、【朝日ドットコム】より。
【――よろしくお願いします。今日の両院議員総会で、首班指名では若林両院議員総会長の名前を書くことが決まったが、総理の受け止めを。
(麻生首相)「よかったんじゃないですか。両院議員総会で、色々なご意見が出た結果、えー、両院議員会長の若林先生の名前で、を書こうというので、あの場で結論を出したということですから、みんなで、それで、賛成をされて結論が出たんだから、これで、再生をする一つのスタートのきっかけとしてはよかったと思いますけれども」
――両院議員総会長の名前を首班指名で書くということは、これまでになかったと思いますけれども、国民の理解を得られると思いますか。
(麻生首相)「国民の理解を得られるか。私はまあ少なくとも自由民主党が再生をしていく、一致団結するという意味では、よ、よかったと思います」
【総裁辞任】
――今朝の自民党の役員会で、総理は16日の午前中に自民党総裁をお辞めになる考えを表明されたが、なぜこのタイミングでお辞めになるのでしょうか。
(麻生首相)「はあ。辞めるという話は、8月の31日の日も、に、既に表明をしております。従って辞めるという話は、もうだいぶ前に申し上げております。両院議員総会の前に、や、あ、両院議員総会じゃなかった、首班指名の前に辞めるという話を申し上げたのは、首班指名の時に、自由民主党の総裁のままだと、総裁の名前を書くべきだという意見もあれば、辞めるといった人の名前を書くのはおかしいという意見もあったり、別の名前を書くべきだと、色々ご意見がある。それはそれなりにみな正しいと思います。従って、自由民主党総裁を午前中に辞める、すなわち、内閣総辞職をすることになりますんで、その段階で辞めるということで、総総分離という話もきちんと整理が出来ますし、その意味では、16日の午前中というのはタイミングとしては、私としてはいいのではないかと思いましたんで、それで、少なくとも麻生太郎と書くという理由なり必然性はそこでなくなりますんで、その後きちんとした形で、両院議員総会を開いて、若林さんに決まったという道筋をつける。混乱をするというのは最も避けたいところでありましたから、混乱を避けて、道筋をつけていくという方法として、あの段階で辞めるというのを申し上げたんですけれども、まあ、結果として、若林さんということで決まりましたんで、私どもの考えている通りになったと思っております」
【朝日ドットコム】
http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY200909080290.html?ref=goo
最近、記者団の質問をシャトアウトしていたので、久しぶりの「肉声」を国民も記者も聞いたことになる。あとは、野党としての「次期総裁選」の時に登場することになるのだろうか。
大本から、この「9月8日」は、「特別な日」とされています。
元々、この「9月8日」は、「明治維新」の狭義の意義とされる「明治改元」が、1868年10月23日(旧9月8日)となっていることにその淵源があるとされています。
つまり、「新たなる切り替わり」の意義が、この「9月8日」(旧9月8日)には、神的に込められている訳です。
大本の出口王仁三郎聖師の神示『伊都能売神諭(いづのめしんゆ)』にも、「辛(かのと)の酉(とり)の紀元節、四四十六の花の春、世の立替立直し、凡夫の耳も菊の年、九月八日のこの仕組」(大正8年1月27日)という神示があります。出口王仁三郎聖師は「辛酉(しんゆう)の年は深憂(しんゆう)だ」とも警告しています。
大本は、大正10年(1921)の2月12日に「第一次大本事件」として、政府から弾圧を受けましたが、この年も辛酉(かのととり)でした。
この年の旧9月8日、出口王仁三郎聖師に霊界物語を執筆せよという御神命が下り、それから10日後の旧9月18日(新10月18日)から「霊界物語」の口述を開始しました。
ですから、大本では、「9月8日」とは「霊界物語」の口述を神様から神告された日とされてます。
また、出口王仁三郎聖師は、『真如の光』(昭和6年10月18日)の中で、「9月8日」についてこう述べています。
「九月八日は大本にとってふしぎな日である。本宮山(ほんぐうやま=京都府綾部市の大本聖地にある山=筆者注)は、一名桶伏山(おけふせやま)といって、大本教旨を書いた大きな天然石を彫刻したなりで時機がくるまで伏せておいて、蒙古入りをした。帰ってきてもまだおこす時機がこなかったのであるが、その石を本年九月にはいって、神さまからはじめて早く建ててくれといわれて建てた。気がついてみると、新の九月八日に建てあげていた。それから十日後の九月十八日には満州問題がおこるとあらかじめいっておいたが、そのとおりにおこった」
さらに、続けてこうも言っています。
「八日というのは、すべて意味のある日であります。八というのは開くという字である。……それで、どうしても今度の満州事変といい、いろいろと世の中におこってくることは、これはもう神界の経綸が実現の緒(ちょ)についたことであるということをお考えになってさしつかえないのであります……」
(参考・「巨人出口王仁三郎」出口京太郎著)
日本の社会情勢に眼を向ければ、戦後日本の独立を回復した、サンフランシスコ講和条約は、昭和26年9月8日に調印されました。このサンフランシスコ講和条約の発効によって、翌年の昭和27年4月28日に日本は、GHQの占領統治を脱却して独立を回復したのです。その意味で、「戦後」は「9月8日」で始まったと言っても過言ではありません。
これに対し、「ひふみ神示」・「日月神示」では、「9月8日」・「旧9月8日」は、やはり、大神様の「切り替わり」の神刻(かみとき)とされています。
今回の自民党両院協議会での、「麻生首相の発言」も、8月31日にも同趣旨の発言があったものの、「自民党の55年体制の終焉」という、「戦後政治の大分岐点となる公開された発言」となっていると感じます。
世情の人も、今回の両院協議会の麻生首相の姿を見て、「ああ、自民党の政権もやはり終わったんだな」と感慨を持たれた方も多かったのではないかと思います。
以下「ひふみ神示」・「日月神示」の「9月8日」・「旧9月8日」の御神示を幾つか挙げてみたいと思います。
【ひふみ神示・日月神示・『キの巻』・第十四帖 (二七一)】(昭和20年3月17日)
【三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ、心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、九月八日の仕組近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。一時はこの中も火の消えた様に淋しくなってくるぞ、その時になっておかげ落さん様にして呉れよ、神の仕組愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。三月十七日、ひつぐの神。】
【ひふみ神示・日月神示・『日月の巻』・第十帖 (183)】(昭和19年10月25日)
【ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。 辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。 と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。十月二十五日、ひつ九のか三。】
【ひふみ神示・日月神示・『青葉の巻』・第二十帖(489)】(昭和22年8月10日)
【己の心見よ、いくさまだまだであろが、違ふ心があるから違ふものが生れて違ふことになる道理分らんのかなあ。世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組近付いたぞ。人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて、誠知らしたこと毒とならん様 気つけておくぞ。薬のんで毒死せん様に気付けよ。今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな、つくった神や神の許しなきものは皆メチャメチャぢゃ、三千世界に手握る時と知らずに、 (た)の世界、も十の世界を知らんからさうなるのぢゃ、火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、と交通出来るのぢゃ、人と云っても人間ではないぞ、ヒトカミざぞ、手握って三千世界に天晴れぢゃ、この道神の道ぢゃ、光の道ぢゃ、教ぢゃ、悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と握る手持ちて御座れよ、心持ちて御座れよ、びっくり嬉し箱あくぞ。八月十日、ひつ九 。】
【ひふみ神示・日月神示・「水の巻」・第9帖(283)】(昭和20年6月2日)
【旧9月8日とどめぞ。】
【ひふみ神示・日月神示・「松の巻」・第3帖(294)】(昭和20年6月19日)
【神烈しく、人民静かにせよ。云ふた事必ず行はねばならんぞ。天から声あるぞ、地から声あるぞ。身魂磨けばよくわかるのざぞ。旧九月八日までにきれいに掃除しておけよ。残る心 獣ぞ。神とならば、食ふ事も着る事も住む家も心配なくなるぞ。日本晴れとはその事ざぞ。六月十九日、あめのひつ九のかみ。】
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