2009年6月27日土曜日

共感覚者・岡本天明先生と日月神示の色霊学







【共感覚者・岡本天明先生と日月神示の色霊学】

☆「共感覚」、この言葉も最近かなりポピュラーになってきた。

「共感覚(きょうかんかく、synesthesia, synæsthesia) とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には7という文字に青い色を感じたり、音階のミの音に緑色を感じたり、ハンバーグの形が苦い味に感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。」(ウィキペディア)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A

歴史上の有名人にも、「共感覚者」は沢山いる。

オリヴィエ・メシアン(作曲家) スティービー・ワンダー(音楽家) ワシリー・カンディンスキー(画家) アレクサンドル・スクリャービン(作曲家) レオナルド・ダ・ヴィンチ(美術家) ウラジーミル・ナボコフ(作家) リチャード・ファインマン(物理学者) 宮沢賢治(詩人、童話作家) アルチュール・ランボー(詩人) ニコライ・リムスキー=コルサコフ(作曲家)etc.

ランボーは、「A は黒、E は白、I は赤、U は緑、O は青」で始まるソネット『母音』を残しており[3]、しばしば共感覚の証拠とされる。 これがランボーのイマジネーションによるものか実際の感覚であったかは不明である、とされる。

「神経学者のリチャード・E. シトーウィックは、共感覚の診断のために用いる基準を以下のように決定した。
1. 共感覚者のイメージは空間的な広がりをもち、はっきりと限定されたロケーション(位置)を特定できることが多い。
[訳註]共感覚者は空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かる。
2. 共感覚は無意識的に起こる。
3. 共感覚の知覚表象は一貫性がある。
4. 共感覚はきわめて印象的である。
5. 共感覚は感情と関係がある。

シトーウィックは、空間の広がりを見据えた実験を提言したが、最近の多くの研究はこれを正しくないとしている。例えば、共感覚者の中には文字の色や、単語の味が「わかる」のであり、実際に視覚器や味覚器で感じているわけではないのである。
」(ウィキペディア)

また、いわゆる「霊的能力」と「共感覚」の関係性についても、以下の様な見解がある。

「共感覚の研究により、霊能者が描写する現象も説明がつく。

 多くの自称霊能者は、人のオーラを感じると述べ、オーラを特定の人々が放つ色鮮やかなエネルギー場と描写することも多い。だが、ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)の共感覚研究グループのリーダー、ジェイミー・ウォード博士によれば、知り合いに会うと色を感じる――感情と色の共感覚を持つ――人もいるという。
 「一部の人が持つ他人の色鮮やかなオーラを感じる能力は、はるか昔から民話や神秘主義のなかで重要な位置を占めてきた。……人間が、特別装備のカメラや訓練を受けた人にしか捉えられないオーラ、つまりエネルギー場を放っていると考える必要はなく、共感覚の現象が起きていると仮定すればこと足りる」とウォード博士は語った。」

http://wiredvision.jp/archives/200503/2005030901.html

岡本天明先生の絵を見ていると、特に色彩豊かなクレパス画について感じるのだが、そこに描き出されている世界が、「言葉」に対する色彩だったり、物に対する共感覚的描写だったりするのではと、以前から考えていた。

そして、上記の様に、霊能力と言われるもののある部分は、「共感覚」の領域で理解できるのでは、と考える。

しかし、岡本天明先生が感得していた世界は、この共感覚だけではとらえきれない深遠なものがあるのは確かだ。

最近子供達の共感覚を、素直に受け入れ理解する若い親たちも現れ始めているという。

そして、見えないはずのものが見え、聞こえないはずの音が聞こえる、その先には一体いかなる黙示的光景が広がっているのか、彼ら「越境者たち」を自分のこととして想像・理解することは、私たちのこれからのさらなる課題のように感じられる。

言葉、数、色、、形、それらに対する「霊的位相」を理解しようとする時、この「共感覚」の問題は、避けて通れない大きな課題であることは確かなようだ。

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