2009年6月28日日曜日

「日月神示」の「十種の神宝」とゝ(チョン)」







【「日月神示」の「十種の神宝」とゝ(チョン)」】

「日月神示」の 第三十六巻、「五十黙示録」 第六巻 の「至恩の巻」の第十六帖(114)




「太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝にゝ(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士と鳴門(ナルト)の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘で【リンドマリ】ぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。」

「ひふみ神示」の 第三十六巻、「五十黙示録」 第六巻 の「至恩の巻」の第十六帖(114)にこのような御神示があります。 (昭和三十六年九月一日、旧七月二十二日)(1961年)

ここで、「十種の神宝」というものが出てきます。
この秘図が、密教系も含めて、数多く出回っていますが、その一つを御紹介します。
そして、重要なのは、今までの「十種の神宝」では、来るべき「光の世」の到来には、不十分で、そこに「ゝ・チョン・テン」が入らなければならないと、お筆では、書かれている点です。

この「ゝ・チョン・テン」の神義こそが、神典「日月神示」の、最重要の神義の一つであり、私たちが、この「子の年」の「正念場」を越えていくにあたり、体得しなければならない、大切な「光義」でもあります。

また、「ひふみ神示」第三十六巻(950)・五十黙示録 第六巻「至恩の巻」 第三帖(101) 昭和三十六年九月一日、旧七月二十二日(1961年)には、次の様な神示があります。

「判るように説いて聞かすから、今迄の智を一先づすてて、生れ赤児となりて聞いて下されよ。天之鈿女(あめのうづめ)の命が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったのぞ。その時はそれで一応よかったのであるなれど、それは限られた時と所でのことで永遠のものではないぞ。」

つまり、これも「テン・ゝ・チョン」の「光の世」に至る必要性を説いている訳です。

「ひふみ神示」第三十六巻(951)・五十黙示録 第六巻 「至恩の巻」 第四帖(102) 昭和三十六年九月一日、旧七月二十二日(1961年)にも、同様の記述があります。

「この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。岩戸開きの鍵であったが、今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。始めに〇ゝ(マルチョン・ス)がなくてはならん、〇ゝ(マルチョン・ス)は神ぞ。」

これからの世の中は、「超激変」の時代です。その中で、真実の自己に目覚め、スの極光を自らと「真釣り合わす」ことが、必要不可欠なことになってくる時代となっています。

十種の神宝の秘図には、古来いくつの形が伝わっていますが、これは、比較的新しいものです。

真中の写真は、「ゝ・チョン」は、愛知県の知多半島の武豊市の「玉鉾神社」に、安置されている、神石「マルチョン石」です。

余り知られていません。玉鉾神社の神義にも、深い御経綸があります。

右の写真は、印旛の麻賀多神社そばの「大奥山」時代の「ひふみ神示」天授者、岡本天明先生。

当時の「大奥山」の御社殿も、その後、岐阜、北伊勢に移築されましたが、平成10年の火災によって、焼失してしまいました。

伏見稲荷は、「稲荷古伝」に御神縁深い場所。奥の御山は、大変神義深い場所です。同祝詞集には、「龍神祝詞」も載っています。
さらに、同社境内地内側の「伏見神宝神社」の存在と、「十種神宝」の秘図の入ったお守りのペンダントも、見逃せないものです。

伊勢の興玉神社は、海禊ぎの聖地です。古来多くの御神業者が同地で禊ぎをされています。
「川面流禊ぎ」の川面凡児先生や、禊ぎを全国に広めた、国学者の今泉定助先生なども、良く禊ぎをされたとされています。

当地の夫婦岩からは、太陽と月が同時に見える時期があり、日月信仰とも深い関連があります。さらに、同地からは、稀に富士山も見ることが出来、また夫婦岩の先に御神石が海中にあるとも言われています

龍宮神界との秘門と言われる所以です。同社の先に「龍宮社」もあります。一昨年、何度か「伊勢・奥伊勢御神業」を同地を含めてさせて頂きました。北伊勢、伊勢、奥伊勢は、大変神義深い場所です。

愛知県の知多半島の、武豊市にある、「玉鉾神社」に行かれた時には、是非「スの御神石」をご覧下さい。ちょっと解かりにくいですが、社殿手前の参集所に行く道の途中にあります。

玉鉾神社も、大変神義深い神社ですが、余り世人はそのことに気付かれていません。尚、「玉鉾神社」の名前は、大本の出口直開祖が命名したとも言われ、孝明天皇を御祭神としています。
「玉鉾」とは、玉の付いた、あるいは玉の様な鉾という意味で、鈴屋本居宣長に「玉鉾百首」という著書があります。

十種の神宝の御法は、伯家神道の中でも大変重要視されているものです。
また、高野山伝の十種の神宝の秘図もあり、早い時期から、密教との習合もあったようです。

伯家神道の法統の継承者の一人である、鬼倉足比古先生の高弟に、佐々木精治氏という方がおり、この方が、ひふみ神示天授者、岡本天明先生と早い時期から、懇意でした。ですから、日月神示、そして岡本天明先生の霊流の中にも、日本の秘教的神代学の流れがあるわけです。

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