2009年10月3日土曜日

ひふみ神示 下座の行、大切







【ひふみ神示 下座の行、大切】

【ひふみ神示・日月神示・第27巻・春の巻・第11帖(668)】(昭和旧1月1日から2月15日までの期間中の御神示)

【内の自分は神であるが、外の自分は先祖であるぞ。祖先おろそかにするでないぞ。先祖まつることは自分をまつることぞ。外の自分と申しても肉体ばかりでないぞ。肉体霊も外の自分であるぞ。信じ切るからこそ飛躍するのぢゃぞ。不信に進歩弥栄ないぞ。肉体霊も外の自分であるぞ。まかせ切るからこそ神となるのぢゃ。神に通づるのぢゃ。他力で自力であるぞ。真剣なければ百年たっても同じ所ウヨウヨぢゃ。一歩も進まん。進まんことはおくれていることぞ。真剣なれば失敗してもよいと申してあろうが。省みることによって更に数倍することが得られるのであるぞ。いい加減が一旦成功しても土台ないからウタカタぢゃ。下座の行、大切。】

「下座の行」というと、若い人は「?」と思われるかも知れません。

ちまたで言う「下座の行」は、ただ「上の人が下の人を強いて用いる方便」の如く、用いられる傾向にもあります。運動部で、上級生が、下級生に、「これは下座の行だから、辛抱してやりなさい!」というが如きです。

そこにあるのは、「階級社会」における「階級性」の「自己正当化」の「方便」として用いられるものです。

しかし、真の「下座の行」とは、その様な「現実社会」の「方便」に用いられる様にものではありません。
むしろ、その「階級社会」をも、「包越的否定」してるものだとも言えます。

「下座」とは、「 貴人に対して行う礼。座をおりて平伏すること。」、「しもての座席。しもざ」、「歌舞伎劇場で、囃子(はやし)方のいる席。また、囃子方。古くは舞台上手の奥にあったが、近世末期から下手に移った。外座(げざ)。」、「法臘(ほうろう)で、出家してから夏行(げぎょう)を9回するまでの僧侶の称。」、「僧侶が説教などを終えて、高座から下りること。」などを指します。

「ひふみ神示」の言う、「下行の行」とは、一体いかなるものを指すのでしょうか。

私は、人間が、現実世界の「私」という概念を捨象して、「神幽現」「過現未」一体大和楽の「光の視座」から、現実界の行いを「正すこと」であると考えます。

換言すれば、「空間的な自己」・「時間的な自己」・「次元的な自己」をさらに超えた「光越的自己」の「光座」から、現実界の自分の行いを見つめ、そして正すことであると考えます。

そこに現われてくるものは、いかに現実を生きる人間が、「現実的視座」でのみ、物事を理解、判断そして実践しているかということです。

心理学的な用語を用いるならば、「ゲシュタルト」(形態)の転換のためのワークと言えます。

この「視座」を高める、あるいは、「ゲシュタルト」を高めるために、自らの現実的に持つ「役割」を一端、リセットして、最も下に位置する「役割」に我が身を置くというのが、
心理学的、あるいは意識学的にいう「下座の行」の意義ではないかと考えます。

しかし、より実相を深く探求するならば、「下座の行」とは、神、神仏、先祖、子孫と自らを「光の機軸」によって「真釣り合わせる」ことである、と私は考えます。

そうすることによって、現実に生きる「自己」が、「中今に生きる自己」へと「超転換」していくことになるのです。

ひふみ神示の中にも、自らの「神性」、「光の自己」、「中今の自己」を、互いに「拝み合う」という、「光法」が記されています。

現代社会は、「競争原理」に基づき、「共感」という、人間本来の持つ大切な「本能」を阻害する方向性にあります。
そして、いつしか、その「自我」が肥大化し、その肥大化した自我は、他人のみならず、自分さえも傷付けてしまいます。

「万物の中に融け入る自分を発見する」ということは、「競争原理」に汚濁されない、「融合・共感原理」を自らの中に涵養するものでもあります。そしてその「先」にあるのは、「自即他」の世界観をも、「包越」した「自即光」の「光越世界」であると感じます。

この「下行の行」に関連して、仏教の法華経で言う、「不軽菩薩の但行(たんぎょう)礼拝」について、御紹介します。

法華経の『常不軽菩薩品第二十』に、【不軽菩薩の但行(たんぎょう)礼拝】について書かれています。
不軽菩薩は、正しくは、「常不軽菩薩」と言い、法華経の『常不軽菩薩品第二十』に説かれる菩薩で、略して「不軽菩薩」といいます。

 不軽菩薩は、はるか昔、威音王仏(いおんのうぶつ)の滅後・像法時代に、増上慢の四衆(出家・在家の男女)が蔓延(まんえん)した世に出現しました。経典を読誦せず、法華経の意義の上から、会う人々の仏性を合掌礼拝(らいはい)し、次のように唱えました。

我深敬汝等    (がじんきょうにょとう)
不敢軽慢     (ふかんきょうまん)
所以者何     (しょいしゃが)
汝等皆行菩薩道  (にょとうかいぎょうぼさつどう)。
当得作仏     (とうとくさぶつ)

(私は貴方(あなた)たちを敬(うやま)い、決して軽蔑(けいべつ)しません。何故なら、貴方たちは菩薩道を修行し、必ず仏に成るからです)」(法華経 500頁)

 これを【二十四字の法華経】といい、この但行(たんぎょう)礼拝により、不軽菩薩と名づけられたのです。
 法華経に迷い権教(ごんきょう)小法に執する増上慢の四衆は、不軽菩薩に怒りをなし、杖木瓦石(じょうもくがしゃく)をもって誹謗迫害を加えました。しかし不軽菩薩は、これに怯(ひる)まず、但行礼拝の修行を生涯にわたって貫いたのです。
このため臨終に際し、不軽菩薩は虚空(こくう)の中で威音王仏の説かれた法華経を聞き、よくこれを受持し、六根清浄(ろっこんしょうじょう)の功徳とさらなる寿命を得て、広く法華経を説き、衆生を利益しました。ここに、不軽菩薩を誹謗迫害した四衆も、ついに信伏随従(しんぷくずいじゅう)するに至ったのです。
 不軽菩薩は、こうしてさらに多くの衆生を無上菩提へ導き、自らも諸の功徳を成就して、終に妙覚果満(みょうかくかまん)の釈尊として作仏しました。
 これに対し、不軽菩薩を誹謗迫害した者は、後に信伏随従したとはいえ、先の誹謗罪が強く、死後二百億劫も三宝の名を聞くことができず、しかも初めの千劫は阿鼻(あび)地獄にあって大苦悩を受けたのです。それでも逆縁を結んだ功により、再び不軽菩薩による法華経の教化(きょうけけ)に値うことができました。その者たちこそ、跋陀婆羅(ばつだばら)をはじめ、釈尊の法華経の会座(えざ)にあって、不退の位に至った多くの菩薩たちだったのです。

また、日蓮上人も、その著『御義口伝』の中で、「所詮今(いま)日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る行者は末法の不軽菩薩なり」(同 1778頁) と述べています。

【参考】
http://homepage3.nifty.com/y-maki/yougo/5/579a.html

写真はハワイ、日本の「グリーンフラッシュ」(緑閃光)。「幻日」。

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