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2009年11月8日日曜日

日月神示と「うたの集団(つどい)」







【日月神示と「うたの集団(つどい)】

少し前になりますが、【先住民族アイヌからのメッセージ】-アイヌモシリと首都圏を結んで-に行って来ました。

特に、最後の4人の女性の歌った歌がとても、心に響きました。
「シンフォニー」でもない、かといって「ポリフォニー」でもない、また雅楽などの様な「ヘテロフォニー」でもない、「そのアイヌ語の歌が魂に響きました」

【先住民情報 10・4アイヌ古式舞踊公演】

「先住民族アイヌからのメッセージ~アイヌモシリと首都圏を結んで~」

10月4日(日)14:00~17:40 アイヌ古式舞踊公演
会場:天空劇場 (東京都足立区千住1-4-1 東京芸術センター21階 ) 北千住駅徒歩12分。

出演:旭川チカップニアイヌ民族文化保存会
開場:午後1時半 公演:午後2時~午後5時40分 参加無料

カムイユカラ、トンコリ演奏、ムックリ演奏、古式舞踊など。

以下の【ひふみ神示】の「歌の集団(集い)」を思い出しました。

【ひふみ神示・日月神示・第13巻・雨の巻・第13帖(347)】(昭和20年1月18日)

【是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、誠とはコトざぞ 口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、コト気付けと申してあろがな。コト、コト、コト、ざぞ。始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団(つどひ)とせよ。此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ、江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ。食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ。不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。世に落ちて御座る守護神と 世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろがな、判りたか。十二月十八日、ひつくのかみ神示。】

【ひふみ神示・日月神示・第13巻・雨の巻・第14帖(348)】(昭和20年1月18日)

【次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次も又お出直しぢゃ、此の神示よく見てこの先何うなる、其の先どうなると云ふ事、神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、すればする程 悪うなるぞ、神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、何んなことあっても心配ないなれど、それでは臣民 可哀想なから、此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、表の集団でよいぞ、神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、九十(コト)聞く身魂ないから、九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、地に足つけよと申した事判らんのか、百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、 (てん)の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、大きく目ひらけよ。松食(お)せよ、松おせば判らん病直るのぢゃぞ、松心となれよ、何時も変らん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。十二月十八日、ひつ九のかみ。】

【ひふみ神示・日月神示・第13巻・雨の巻・第16帖(350)】(昭和20年1月19日)

【此の世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、神の世界も引くるめて申してゐるのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇む所 此の方 力添え致すぞ。心配顔 此の方 嫌ひぞ、歌唄ひ下されよ、笑ひて下されよ、笑へば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいて御座るぞ。つ千に返ると申してあろがな、早う気付いた臣民人民 楽になるぞ。神の守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、判る様な守護は低い神の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、心せよ、】

【ひふみ神示・日月神示・第14巻・風の巻・第4帖(355)】(昭和21年旧1月1日)

【岩戸開けたり野も山も、草のかき葉もことやめて、大御光により集ふ、楽しき御代とあけにけり、都も鄙(ひな)もおしなべて、枯れし草木に花咲きぬ、今日まで咲きし草や木は、一時にどっと枯れはてて、つちにかへるよすがしさよ、ただ御光の輝きて、生きの生命(いのち)の尊さよ、やがては人のくにつちに、うつらん時の楽しさよ、岩戸開けたり御光の、二二(ふじ)に九(こ)の花どっと咲く、御代近づきぬ御民等よ、最後の苦労 勇ましく、打ち越し呉れよ共々に、手引きあひて進めかし、光の道を進めかし。ウタのまどひつくれよ。目出度(めでたき)夜明けぞ。旧一月一日、一二 。】

【「ひふみ神示」・「日月神示」第24巻・「黄金の巻」・第44帖(555)】(昭和24年かのととりの日)

【奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。以下70首の「型歌」御神示】

【参考】

【歌で岩戸開けるぞ。辛酉(かのととり)の「ひふみ神示」・「日月神示」】

http://histukishingi.blogspot.com/2009/09/blog-post_8448.html

写真は、「ムックリ(アイヌの口琴)を演奏する女性」。「4人のアイヌの女性の歌」。「アイヌの民族衣装に身を包んだ出演者の皆さん」です。

2009年9月29日火曜日

歌で岩戸開けるぞ。辛酉(かのととり)の「ひふみ神示」・「日月神示」





【歌で岩戸開けるぞ。辛酉(かのととり)の「ひふみ神示」・「日月神示」】

【辛酉(かのととり)】という「神日」については、先日の日記で、御説明しました。 この御神示は、昭和24年に天授されたもので、「歌」の歌詞としての内容となっています。

【辛酉(かのととり)】について説明をした日記 】

【「ひふみ神示」・「日月神示」と榛名(ハルナ)の御用】

http://histukishingi.blogspot.com/2009/09/blog-post_15.html

最初の「ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。」という「神招(お)ぎ」の神詞を除くと、合計70首の「型歌(かたうた)」形式の御神歌です。

「七十(なると)」は「鳴門」に「神合」した神歌の数となっています。

「型歌(かたうた)」とは、岡本天明先生が創唱した「短詩型の御神歌」で、577形式で、合計19文字となり、「トコタチ数」となり、国祖国常立太神の「御神数」となります。

これを、実際に「歌う」ことで、より、「想念の浄化」・「魂の潔斎」がなされるとされています。

岡本天明先生も、実際にお祭りの際には、祝詞奏上の後に、「御神歌」を歌われていたと言います。

今は、その「歌い方」を伝える方も、ほとんどいないのが現状です。

9月27日(日曜日)の【第7回実践意識光学連続講座】では、「八雲神歌」という朗詠法によって、この「型歌形式の御神歌」を朗詠しました。

【9月27日(日曜日)の【第7回実践意識光学連続講座】】
この「御神歌の朗詠法」は、【真澄修法】という「御神歌朗詠による鎮魂帰神法」にも相通ずるものです。「霊学」の神奥を窮めんとされる方は、是非実践して頂きたい「修法」です。

皆さんも、是非御神示の「神歌」を朗詠し、各自の「神示の実践生活」を「再光化」されてはいかがでしょうか?

【「ひふみ神示」・「日月神示」第24巻・「黄金の巻」・第44帖(555)】(昭和24年かのととりの日)

【奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。

ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。  

かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。  
御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。  
世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。  
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。  
三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。  
大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。  
天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。  
堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。  
したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。  
大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。  
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。  
国原は、大波うちて、みふみを拝す。  
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。  
大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。  
天地の、光となりて、みふで湧き出づ。  
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。  
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。  
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。  
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。  
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。  
天地も、極まり泣かん、この時にして。  
かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。  
天地も、極まりここに、御代生れ来ん。  
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。  
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。  
宮柱、太しき建てて、神のまにまに。  
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。  
言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。  
ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。  
ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。  
大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。  
今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。  
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。  
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。  
ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。  
言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。  
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。  
あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。  
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。  
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。  
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。  
みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。  
あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。  
さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。  
みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。  
いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。  
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。  
追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。  
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。  
みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。  
と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。  
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。  
たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。  
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。  
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。  
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。  
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。  
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。  
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。  
道端の、花の白きに、祈る人あり。  
拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。  
悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。  
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。  
御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。  
悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。  
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。  
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

      かのととりの日。】