2009年6月30日火曜日

人(ひと)から〇九十(まこと)へ。そして〇光人(まこと)へ







【人(ひと)から〇九十(まこと)へ。そして〇光人(まこと)へ】

【第23巻 海の巻 第14帖 (506) (昭和22年8月23日)】

何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処へ参りて、マコトの言(こと)を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、 九十(マコト)とは 一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。

【第31巻 月光の巻 第45帖 (832) (昭和33年12月25日~34年3月2日)】

マコトに祈れと申してあろう。マコトとは (マ)123456789(コ)10(ト)のことと申してあろう。只心でゐのるばかりでは、自分で自分をだますこととなるのぢゃ。自分をいつわることは神をいつわることとなるのぢゃ。マコトでゐのれば何事もスラリスラリとかなふ結構な世ぞ。

【五十(いせ)黙示録 第5巻 極めの巻 第14帖 (092)】(昭和36年8月5日)

正しくないものが正しい方に従はねばならんと人民申して御座るなれど、正とか不正とか申す平面的衣を早うぬいで下されよ。マコトを衣として下されよ、マコトを衣にするには心がマコトとなりなりて、マコトの肉体とならねばならん、マコトとは数(かず)ぢゃ、言(こと)ぢゃ、色ぢゃ、その配列、順序、法則ぞ。


【五十(いせ)黙示録 第6巻 至恩の巻 第15帖 (113)】(昭和36年9月1日)

神の申すことは一分一厘違はんのであるぞ、今度言ふことを聞かねば大変な気の毒となるぞ、地(智)の下になって了ふのであるぞ、12345678の世界が12345678910の世となりて、012345678910の世となるのぢゃ、012345678910が【マコト】と申してあろうがな。裏表で二十二ぢゃ、二二の五ぢゃ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れぞ、判りたか。

【五十(いせ)黙示録 補巻(第7巻) 紫金の巻 第03帖 (133)】(昭和36年)

 伊豆幣帛(いづぬさ)を 都幣帛(とぬさ)に結び 岩戸ひらきてし。

ウヨウヨしてゐる霊かかりにまだ、だまされて御座る人民多いのう、何と申したら判るのであるか、奇跡を求めたり、われよしのおかげを求めたり、下級な動物のイレモノとなってゐるから、囚われてゐるから、だまされるのぢゃ、霊媒の行ひをよく見ればすぐ判るでないか。早うめさめよ、因縁とは申しながら、かあいそうなからくどう申して聞かせてゐるのであるぞ、マコトの道にかへれよ、マコトとは 一二三四五六七八九十と申してあろう、そのうらは十九八七六五四三二一 で、合せて二十二であるぞ、二二が真理と知らしてあろう、二二が富士と申してあろうが、まだ判らんか。

これからは、「アーティスト系」の方々が、「神示系」の方々と、深く交流する年になると感じます。
彼ら「アーティスト系」の方々は、場所や時間を「意識的」に操り、私たち、「日常性」の中に、逼塞(ひっそく)している人間たちを、「意識の荒野」に連れ出してくれます。
人間は、案外、無自覚的に、自分の中に「めぐり」を形成しています。
それが、他と触発される事で、「開放」されるのだと思います。
その「開放」の触媒が、土地、神磁場だったり、ある時期、時間だったり、そして、一番「開放」されるのが、「人間」との出会いです。

ロシアの秘教的神秘主義者、G・I・グルジェフの言う「機械的人間」とは、想念の「めぐり」によって、自らの意識が、狭い「身体内」で「循環」してしまっている人間ではないでしょうか。

人が、霊止(ひと)、そして〇九十(まこと)となるためには、その人間が、〇九十(まこと)に出会うことが必要です。
確かに、〇九十(まこと)は、自分の裡に存在するものですが、それを引き出す「触媒」の様な存在が、すでに現界には沢山、存在します。
その意味で、〇九十(まこと)とは、「機械的人間」を、「真の人間」へと、さらには、「人間」を「霊止(ひと)」へと、そして、〇九十(まこと)へと「昇華」させる「触媒」であると私は、考えています。

【光の触媒としての自己の創出】。

これが、「光相転位(ソウルアセンション)」の神義ではないでしょうか。
大切なのは、多くのものに「触れて」みることです。
その中には、良いものも、悪いものもあると思います。
しかし、敢えてそれらに「触れてみる」勇気が必要な時代だと思います。

「日月神示」を読むことは、その意味でより「触媒」的な「触れあい」の「機会」となると思います。

「三千人の足場」という御神示が日月神示」の中にはあります。それは、この「日月神示」に集った方々の「触れ会い」への想いが、現実の中に「結晶」した「場」のことです。

「アーティスト」たちは、現実社会の中で、すでに「触媒」として活動している人たちです。
彼らの活動と、「共働」しながら、新たなる「集い」のあり方を、是非模索していってもらいたいものです。
それは、この日月神示に御神縁のある方々なら出来るはずです。
何故なら、この「日月神示」に集う方々こそ、「光の器(うつわ)」としての「光縁」を持った方々なのですから。

2009年6月29日月曜日

日月神示『子の年』の昨年の【火と水の年】









「日月神示『子の年』の昨年の【火と水の年】」
【日月神示】に 、次のような神示があります。

「申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。」
                夜明けの巻 第12帖 (332)
「九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。」
                日の出の巻 第02帖 (215)
「出雲の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ。ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。」 
                磐戸の巻・第16帖
                 (昭和20年1月14日)

「子の年」であった、昨年2008年(平成20年は)、7,8月に「集中豪雨」もあり、多くの「水」の被害はありましたが、私は「火」即ち、「火山」関係の噴火があるのでは?と考えていました所、8月中旬からの「浅間山」の小噴火がありました。

【浅間山など5火山に噴火の警戒 日本の火山は活動期に入った??】

気象庁火山噴火予知連絡会が「各地の火山で活動が高まっている」と警戒を呼び掛けている。浅間山(群馬、長野県)が2008年8月10日に噴火。火山活動は収まらず、一日に100回を越す火山性地震が続き、火口2kmの範囲に大きな噴石が発生する可能性が出ている。このほか、霧島山(宮崎、鹿児島県)、雌阿寒岳(北海道)、口永良部島永良部島(鹿児島県)、桜島(同)でも噴火や火山性地震の増加があるとしている。日本の火山は活動期に入ってしまったのか。

http://www.j-cast.com/2008/10/09028345.html

そして、昨年11月には、北海道で「火山」の小噴火がありました。

【雌阿寒岳2年8ヶ月ぶり小噴火。影響は火口周辺】

 札幌管区気象台は11月18日、北海道東部の雌阿寒岳(1499メートル)で、ごく小規模の噴火が発生したと発表した。地下水がマグマで熱せられたことによる水蒸気爆発と考えられるが、降灰が少ないことなどから「影響は火口周辺にとどまる」としている。雌阿寒岳の噴火は2006年3月以来。

 気象台が同日午後に行ったヘリコプターによる調査によると、噴火があった場所は山頂のポンマチネシリ火口とみられる。周囲約100メートルで数十センチの噴石が、火口の南側約300~400メートルの範囲で降灰が確認された。噴煙は水蒸気の白色に火山灰の灰色が混じった状態で、高さは100~200メートル程度。

 17日夜から18日朝に降った雪の上に降灰しており、噴火は18日に起きたとみられる。地殻変動は観測されておらず、地下のマグマの動きはないという。
 記者会見した気象台の長田芳一地震情報官は「空振計にも反応はなく噴火はごく小規模だが、火山性微動が続いており、今後も同規模の噴火を繰り返す可能性がある」と話している。

 雌阿寒岳では11月16日から継続時間の長い火山性微動が観測され、気象台は17日に火口周辺警報を出して注意を呼び掛けていた。(共同)
 [2008年11月18日20時36分]

本年7月22日の、「皆既日食」を以前御紹介しましたが、戦前のことになりますが、日本ピラミッドを発見した、 酒井勝軍(かつとき)という人物がいました。
彼は、かつてその主幹雑誌『神秘之日本』の中で、昭和11年(1936年)6月19日の北海道での 「皆既日食」に、多大なる神感を受け、同雑誌の中で「日食の神秘」と言う論文を発表しています。

【昭和11年(1936年)6月19日の北海道での 「皆既日食」】
http://star.gs/njkako/nj19360619.htm

掲載した写真は、同雑誌に掲載された 「皆既日食」写真で、6条の 「コロナ」が太陽より放出し、それは、彼の主催する「日猶協会」の徽章の「カゴメ紋」と同じと言っています。中央に写真のその徽章の中心の黒円が、日月地の真釣り合わされた 「皆既日食」の太陽だと言っています。

この1936年6月19日に北海道北部で「皆既日食」が観測された年は、軍部クーデターの「二二六事件」が、2月26日に発生しています。
また、この年には、前年の12月から知床半島の知床硫黄山が噴火し、総噴出量約20万トンと推測される硫黄を噴出しました。このような多量の硫黄の噴出は世界的に見ても非常に珍しいものだったということです。

【1936年6月19日に北海道北部で観測された「皆既日食」】
http://star.gs/njkako/nj19360619.htm

昨年2008年8月1日の中国の皆既日食も、3月からの「チベット動乱」、月12日の「四川大地震」と、天災・人災との関連性が話題となっています。

日本でも、6月14日には、岩手・宮城県界で【岩手宮城内陸地震】(M7.2)が発生しました。震度6強の揺れを観測し、死者行方不明者23名。負傷者は448名 。建物全壊は23棟。 建物半壊は65棟。建物一部損壊は1,090棟の被害でした。 新幹線は一時停止・運休しました。土砂崩れや地滑りが多発し、断層出現したとも言われています。

また、7月24日には、岩手県北部で【岩手県沿岸北部地震】(M6.8)が発生しました。震度6弱の揺れで、死者1名、負傷者207名、住家の一部損壊210棟、火災2件がその被害状況でした。十和田湖など土砂崩れが発生し、深発地震でした。

【天の異象】は、天災、人災ともリンクしていると言う考えもあります。
これらの事実は、多くのことを暗示している感があります。
本年はいかなる「天の異象・地の異象」が、発生するのでしょうか。

2009年6月28日日曜日

「日月神示」の「十種の神宝」とゝ(チョン)」







【「日月神示」の「十種の神宝」とゝ(チョン)」】

「日月神示」の 第三十六巻、「五十黙示録」 第六巻 の「至恩の巻」の第十六帖(114)




「太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝にゝ(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士と鳴門(ナルト)の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘で【リンドマリ】ぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。」

「ひふみ神示」の 第三十六巻、「五十黙示録」 第六巻 の「至恩の巻」の第十六帖(114)にこのような御神示があります。 (昭和三十六年九月一日、旧七月二十二日)(1961年)

ここで、「十種の神宝」というものが出てきます。
この秘図が、密教系も含めて、数多く出回っていますが、その一つを御紹介します。
そして、重要なのは、今までの「十種の神宝」では、来るべき「光の世」の到来には、不十分で、そこに「ゝ・チョン・テン」が入らなければならないと、お筆では、書かれている点です。

この「ゝ・チョン・テン」の神義こそが、神典「日月神示」の、最重要の神義の一つであり、私たちが、この「子の年」の「正念場」を越えていくにあたり、体得しなければならない、大切な「光義」でもあります。

また、「ひふみ神示」第三十六巻(950)・五十黙示録 第六巻「至恩の巻」 第三帖(101) 昭和三十六年九月一日、旧七月二十二日(1961年)には、次の様な神示があります。

「判るように説いて聞かすから、今迄の智を一先づすてて、生れ赤児となりて聞いて下されよ。天之鈿女(あめのうづめ)の命が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったのぞ。その時はそれで一応よかったのであるなれど、それは限られた時と所でのことで永遠のものではないぞ。」

つまり、これも「テン・ゝ・チョン」の「光の世」に至る必要性を説いている訳です。

「ひふみ神示」第三十六巻(951)・五十黙示録 第六巻 「至恩の巻」 第四帖(102) 昭和三十六年九月一日、旧七月二十二日(1961年)にも、同様の記述があります。

「この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。岩戸開きの鍵であったが、今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。始めに〇ゝ(マルチョン・ス)がなくてはならん、〇ゝ(マルチョン・ス)は神ぞ。」

これからの世の中は、「超激変」の時代です。その中で、真実の自己に目覚め、スの極光を自らと「真釣り合わす」ことが、必要不可欠なことになってくる時代となっています。

十種の神宝の秘図には、古来いくつの形が伝わっていますが、これは、比較的新しいものです。

真中の写真は、「ゝ・チョン」は、愛知県の知多半島の武豊市の「玉鉾神社」に、安置されている、神石「マルチョン石」です。

余り知られていません。玉鉾神社の神義にも、深い御経綸があります。

右の写真は、印旛の麻賀多神社そばの「大奥山」時代の「ひふみ神示」天授者、岡本天明先生。

当時の「大奥山」の御社殿も、その後、岐阜、北伊勢に移築されましたが、平成10年の火災によって、焼失してしまいました。

伏見稲荷は、「稲荷古伝」に御神縁深い場所。奥の御山は、大変神義深い場所です。同祝詞集には、「龍神祝詞」も載っています。
さらに、同社境内地内側の「伏見神宝神社」の存在と、「十種神宝」の秘図の入ったお守りのペンダントも、見逃せないものです。

伊勢の興玉神社は、海禊ぎの聖地です。古来多くの御神業者が同地で禊ぎをされています。
「川面流禊ぎ」の川面凡児先生や、禊ぎを全国に広めた、国学者の今泉定助先生なども、良く禊ぎをされたとされています。

当地の夫婦岩からは、太陽と月が同時に見える時期があり、日月信仰とも深い関連があります。さらに、同地からは、稀に富士山も見ることが出来、また夫婦岩の先に御神石が海中にあるとも言われています

龍宮神界との秘門と言われる所以です。同社の先に「龍宮社」もあります。一昨年、何度か「伊勢・奥伊勢御神業」を同地を含めてさせて頂きました。北伊勢、伊勢、奥伊勢は、大変神義深い場所です。

愛知県の知多半島の、武豊市にある、「玉鉾神社」に行かれた時には、是非「スの御神石」をご覧下さい。ちょっと解かりにくいですが、社殿手前の参集所に行く道の途中にあります。

玉鉾神社も、大変神義深い神社ですが、余り世人はそのことに気付かれていません。尚、「玉鉾神社」の名前は、大本の出口直開祖が命名したとも言われ、孝明天皇を御祭神としています。
「玉鉾」とは、玉の付いた、あるいは玉の様な鉾という意味で、鈴屋本居宣長に「玉鉾百首」という著書があります。

十種の神宝の御法は、伯家神道の中でも大変重要視されているものです。
また、高野山伝の十種の神宝の秘図もあり、早い時期から、密教との習合もあったようです。

伯家神道の法統の継承者の一人である、鬼倉足比古先生の高弟に、佐々木精治氏という方がおり、この方が、ひふみ神示天授者、岡本天明先生と早い時期から、懇意でした。ですから、日月神示、そして岡本天明先生の霊流の中にも、日本の秘教的神代学の流れがあるわけです。

2009年6月27日土曜日

共感覚者・岡本天明先生と日月神示の色霊学







【共感覚者・岡本天明先生と日月神示の色霊学】

☆「共感覚」、この言葉も最近かなりポピュラーになってきた。

「共感覚(きょうかんかく、synesthesia, synæsthesia) とは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には7という文字に青い色を感じたり、音階のミの音に緑色を感じたり、ハンバーグの形が苦い味に感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。」(ウィキペディア)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A

歴史上の有名人にも、「共感覚者」は沢山いる。

オリヴィエ・メシアン(作曲家) スティービー・ワンダー(音楽家) ワシリー・カンディンスキー(画家) アレクサンドル・スクリャービン(作曲家) レオナルド・ダ・ヴィンチ(美術家) ウラジーミル・ナボコフ(作家) リチャード・ファインマン(物理学者) 宮沢賢治(詩人、童話作家) アルチュール・ランボー(詩人) ニコライ・リムスキー=コルサコフ(作曲家)etc.

ランボーは、「A は黒、E は白、I は赤、U は緑、O は青」で始まるソネット『母音』を残しており[3]、しばしば共感覚の証拠とされる。 これがランボーのイマジネーションによるものか実際の感覚であったかは不明である、とされる。

「神経学者のリチャード・E. シトーウィックは、共感覚の診断のために用いる基準を以下のように決定した。
1. 共感覚者のイメージは空間的な広がりをもち、はっきりと限定されたロケーション(位置)を特定できることが多い。
[訳註]共感覚者は空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かる。
2. 共感覚は無意識的に起こる。
3. 共感覚の知覚表象は一貫性がある。
4. 共感覚はきわめて印象的である。
5. 共感覚は感情と関係がある。

シトーウィックは、空間の広がりを見据えた実験を提言したが、最近の多くの研究はこれを正しくないとしている。例えば、共感覚者の中には文字の色や、単語の味が「わかる」のであり、実際に視覚器や味覚器で感じているわけではないのである。
」(ウィキペディア)

また、いわゆる「霊的能力」と「共感覚」の関係性についても、以下の様な見解がある。

「共感覚の研究により、霊能者が描写する現象も説明がつく。

 多くの自称霊能者は、人のオーラを感じると述べ、オーラを特定の人々が放つ色鮮やかなエネルギー場と描写することも多い。だが、ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ(UCL)の共感覚研究グループのリーダー、ジェイミー・ウォード博士によれば、知り合いに会うと色を感じる――感情と色の共感覚を持つ――人もいるという。
 「一部の人が持つ他人の色鮮やかなオーラを感じる能力は、はるか昔から民話や神秘主義のなかで重要な位置を占めてきた。……人間が、特別装備のカメラや訓練を受けた人にしか捉えられないオーラ、つまりエネルギー場を放っていると考える必要はなく、共感覚の現象が起きていると仮定すればこと足りる」とウォード博士は語った。」

http://wiredvision.jp/archives/200503/2005030901.html

岡本天明先生の絵を見ていると、特に色彩豊かなクレパス画について感じるのだが、そこに描き出されている世界が、「言葉」に対する色彩だったり、物に対する共感覚的描写だったりするのではと、以前から考えていた。

そして、上記の様に、霊能力と言われるもののある部分は、「共感覚」の領域で理解できるのでは、と考える。

しかし、岡本天明先生が感得していた世界は、この共感覚だけではとらえきれない深遠なものがあるのは確かだ。

最近子供達の共感覚を、素直に受け入れ理解する若い親たちも現れ始めているという。

そして、見えないはずのものが見え、聞こえないはずの音が聞こえる、その先には一体いかなる黙示的光景が広がっているのか、彼ら「越境者たち」を自分のこととして想像・理解することは、私たちのこれからのさらなる課題のように感じられる。

言葉、数、色、、形、それらに対する「霊的位相」を理解しようとする時、この「共感覚」の問題は、避けて通れない大きな課題であることは確かなようだ。

2009年6月26日金曜日

日月神示における二元性と三元性







【日月神示における二元性と三元性】

神典「日月神示」においての一つの大きな問題として、「二元性と三元性」の問題があります。

つまり、2は、二元性、火と水、陰陽、天地、両義などの範疇性です。

それに対して、3は三元性、天地人、日月地(くに)、父と子と精霊などです。

これを5という中心数がその中に2と3を内包し、さらなる「完全性」を表出します。

5は、九星でも、その中心数とされ、1から9までの数の中での中心数でもあります。

5についてですが、日月神示と岡本天明先生は、その玄義性について、いろいろな所で説いています。

中2人、外3人、2は二元性、火と水の火水(神)の二元性。

3は、三元性、日月地(くに)の、大日月地(くに)太神の三元性にも帰趨します。

グノーシス的にも、Vサインが、中の2と外の3を現すとも言われています。このことから、23の数を「特異数」として見る考えもあります。

5は、中心数として、固定化されますが、その内実は2と3に別れ、それそれが、2の両義性、3の完成性にさらに還元されると考えられます。
その奥には、根源性としてのス、マルチョンが内包されていると考えます。

50と49の関係も、筮竹の立て方であり、50で完成し49で動くとされています。残された1本は、チョンに当たる訳です。

よく、神典「日月神示」について、地が抜けているという方がいますが、岡本天明先生は、自らの言葉で、「日月神示」という名称を用いたことはありませんでした。

「一二三」の名称が、その真義を表していると思います。

一と二が、弥栄生成化育して、三になる。

その意味で、「日月」の二元性と、「日月地(くに)」の三元性は、宇宙や神、神性というものの、見方の位相の差によるものなのです。

「日月」ととらえた場合、その二元性によって、静的な物の捉え方が示されます。

それに対して、「日月地(くに)」ととらえたり、表現した場合には、物の動的な位相が示されます。

さらに三元性は、完成数としての意味も持ちます。

したがって、日月の二元性、日月地の三元性は、いずれも「真義」をその中に内包し、どちらが良いということでもないのです。

それ故、神典「日月神示」は、「日月地(くに)神示」でもあり、「大日月地(くに)太(おお)神神示」でもあるのです。

御神示や神典は、誰が出したかとか、どの神示神典しか意味がないとか、どの神示はすでに終わったとか、どの神示が縦で、どの神示が横だとか、そのレベルのことが書かれているものは、あまり魂にとって役に立ちません。

その中に、宇宙の真義を自らの魂が感得する神機となる言葉が織り込められているものが、本当の神様からの言葉だと思います。

「救人」の時代は終わりました。
「救世」の時代も終わりに向かおうとしています。
これからは、 「神幽現一体大和楽の光の国実現」の時代なのです。

そのためには、「祓い」すなわち、「めぐり」の「浄化」が、魂の次元まで重要になってきています。

そして、人間関係のみではなく、森羅万象に対する「ひとしさ」の認識・「共感」がなされる時代が求められています。これは、「まつり合わせ」・「まつり」・「真釣り」として表現されます。

そしてさらに一歩進んで、人間関係、森羅万象、宇宙全体に対する「関わり」を「進化」・「神化」・「光化」させることが、「弥栄(やさか・いやさか)」です。

その意味で、人間関係や、森羅万象、宇宙を「二元」として静的に理解することも、その実相認識としては重要ですし、さらに発展させ「三元」として動的に理解することも、私たちにとっては重要なことであると考えられるのです。

宇宙の実相は、複次的に観相し、立体的に思考してこそ、その奥義に到達できるものなのです。

現在、「癒し」で大変人気のある 「ホ・オポノポノ」の癒しのプロセスが、とても、 日月神示にある「祓い」→「真釣り」→「弥栄」の三大実践主義と共通性のあることが興味深いのです。

私たちは、至光の光の受容される「光器」である。過去、現在、未来の中で、永遠に光り続ける存在である。
そのためには、ヒューレン博士の言う、潜在意識の中にある「過去」を、常に清め続けなければならない、と考えます。

さらに、ヒューレン博士の言う、「100%責任を持つ」とは、私たちが、至光の光の「光器」であることの自覚、即ち「光覚」を持つことだと思います。それは、空間の中で、さらに、時間の中で、さらには、神幽現という、次元の中で、「生かされている」自分に気付く光のプロセスでもあります。

実際に、魂の光相の問題が理解出来てきますと、「祈り」の大切さが、改めて認識されます。
そしてその祈りの対象が、自らの内なる最も至光の存在に対してなされることが、気付かされます。これが、私の言う「自光拝」です。

I love you.という言葉は、どうも日本人にはなじめないという方がいますが、私は、Iを「愛」そして「天意(あい)」と解しています。
つまり、天はあなたを愛していますよ。あなたは、天の意思を体現するために今、ここにいるのてすよ。

このように、考えています。I love you.は、私とあなたの垣根をなくす魔法の言葉です。この言葉に相当するものは、確かに日本語にはありません。それは、日本人は元々、自他の区別の意識的に希薄な「意識的共同性」をその根底に持っているからです。

しかし、近代の日本人は、それらを忘れ、共同性よりも、自我の突出性にその価値を見出してきました。

私たちは、天意(あい)に生きることの大切さを、改めて考え直したいものです。
上の写真が、麻賀多神社の「大奥山」時代の、 岡本天明先生。
中央が、知多半島の武豊市にある、「玉鉾神社」に秘蔵されている、 「マルチョン石」。

下の写真は、ハワイの「フナ」に伝わる 「カナロアの眼」。チャーチワードのムー大陸伝説のムーのシンボルマークの原型ではないかと考えられる。数霊的秘教性を持ちます。

上の写真にある、この御神殿は、岐阜の「大奥山」時代を経て、北伊勢至恩郷へと移築されましたが、残念になことに、10年近く前に、焚き火の不始末によって消失してしまいました。

2013年は、岡本天明先生没後50年に当たる年でもあります。
その最後の神示群は、「五十(いせ)黙示録」と名付けられ、昭和36年(みろく)に天授されました。

奇しくも、2013年は、伊勢神宮の御遷宮の年にも当たります。

2009年6月25日木曜日

日月神示(ひふみ神示)とアセンション(光相転位)







【日月神示(ひふみ神示)とアセンション(光相転位)】

『日月神示』『ひふみ神示』では、「光相転位(アセンション)」について、次の様に示されています。

【五葉の巻 第15帖 (129) 】

「今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。」

この「転位」という言葉は、今言われている「アセンション」と、ほぼ同意義だと考えられます。現在の「アセンションブーム」の、はるか50年近く前にこの「転位」という言葉で、「アセンション(光相転位)」という「大異変」の実相を説明している訳です。  
 
【雨の巻 第15帖(349)】にも、次の御神示があります。

「ヨハネ世に出るぞ、イソネのムソネと現はれるぞ、用意なされよ。それまでにさっぱりかへてしもうぞ、天も変わるぞ地も変わるぞ。」

これも、同じ意味だと考えられます。

さらに、 「グレンとは上下かへる事と申してあろうがな」
(【日月の巻・第28帖】)

「世変わるのぞ。何もはげしく引き上げぞ」
(【日月の巻・第29帖】)


「いよいよとなりたら神が神力出して上下引つくり返して神代に致すぞ、とは(永遠)の神代に致すぞ。」
(【上つ巻・第35帖】)

なども、【転位】を他の表現として示されたものとして参考になります。

キリスト教の「空中携挙(ラプチャー)」に近い内容の御神示もたくさんあります。
もともと、「アセンション」はキリスト教の発想がその原点とも言われています。

しかし、日月神示や、岡本天明先生の著書にの中には、祖型国家日本の神話神典をその機軸とした、「転位(アセンション)」に関する記述が数多く見受けられます。

岡本天明先生が、昭和35年2月18日に初版として出版した、 『古事記数霊解序説』には、以下の記述があります。

『…かくして、前記の如き重大なる意義をもつ千引岩をひらいて、ナギ、ナミ夫婦神の交流、和合、合観、大和と言う段取りとなり、「夫婦神の生み残したと表現」されている所の国を生み、万物を生み、天つ神が最初の御想念のままなる弥栄大和の世界が現出することとなるのであります。
 私が十数年来叫びつづけてきた、「人類歴史上にない程の大異変」とは、この岩戸がひらかれることであって、私は「転位」と言う言葉で表現しようとしたのであります。多くの宗教書、予言書等に示された「人類最後の日」とは、この岩戸ひらきのことであって、数霊的に申せば、「八方世界から十方世界」に移行することであります。』
(前掲書70頁)

「アセンション(光相転位)」の実相を理解するには、やはり、神典「日月神示」の内容を、秘教的な数霊学、言霊学、色霊学、形霊学などから、ひも解いていく必要があると、私は考えています。

「日月神示」を、「アセンション(光相転位)神示」だと言っている意味の一端が、このことで少しは御理解頂けると思います。

2009年6月24日水曜日

【想念の浄化】・【潔斎】と日月神示


【想念の浄化】・【潔斎】 と日月神示

【潔斎】に関しましては、【ひふみ神示】の御神示を是非、繰り返しお読み下さい。出来れば、【ひふみ神示】のこの帖は、是非【暗記】して頂きたいものです。

【青葉の巻 第03帖 (472)】(昭和22年5月12日)

『ひかり教会の教旨 書き知らすぞ、人民その時、所に通用する様にして説いて知らせよ。

 
【教旨】

 
天地(てんち)不二、神人合一。天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は天(あめ)なり、不二(ふじ)なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。神、幽、現、を通じ、過、現、未、を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。

 次に信者の実践のこと書き知らすぞ。

 【三大実践主義】

 弥栄実践
 祓実践
 まつり実践

大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められてゐるのざぞ、弥栄が神の御意志ざぞ、神の働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。人としては其の刹那々々に弥栄を思ひ、弥栄を実践して行かねばならんのざぞ。宇宙の総ては(マツリ)となってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ、人々のことごとマツリ合はすはもとより、神、幽、現、の大和実践して行かねばならんのざぞ。天地(あめつち)の大祓ひと呼応して国の潔斎、人の潔斎、祓ひ清めせねばならんのざぞ、与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五つのはたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。役員よきにして今の世に、よき様に説いて聞かして、先づ七七、四十九人、三百四十三人、二千四百 一人の信者早うつくれよ、信者は光ぞ、それが出来たら足場出来るのざぞ。産土の神様 祀りたら、信者出来たら、国魂の神様 祀れよ、次に大国魂の神様 祀れよ、世光来るぞ。五月十二日、ひつ九のかミ。』

【潔斎】に関してですが、【ひふみ神示】の言う【めぐり】を取ること、と考えても良いと思います。

ただ、これも、宇宙律としての「めぐり」は、単に「循環性」を表しますが、「ひふみ神示」では、これが、「魂にこびりついた穢れとか垢」とも言えるものとしての神義が強くなっています。

そして、もう一つの【宇宙の三大黄金律】の【ひとしさ】は、【同質結集】とも言われているもので、【同じ想念や魂の傾向性を持つ者は、集い会う傾向性がある】という、人間関係の法則性にも、帰結していきます。

私は、この【宇宙の三大黄金律】(めぐり・ひとしさ・かかわり)と【ひふみ神示】の【三大実践則】(祓い・祭り・弥栄)を次の様に構図で捉えています。

1,【めぐり】→【祓い】(潔斎・想念の浄化)

2,【ひとしさ】→【祭り】(共通性・共有性、共感性の認識)

3,【かかわり】→【弥栄(いやさか・やさか)】(生成化育・進展性・動的経綸観)

私は、【想念の浄化】と【潔斎】を、ほぼ「同義」に考えています。

例えば、霊能者が、「霊がいる」と言って、ある方に憑いている未浄化の霊を、その方から、取り除いた(いわゆる除霊)時、その霊は、何処に行くのでしょうか?その霊が、「霊団」となり、いろいろと外的事象に影響を及ぼすというのが、大本系、特に世界救世教や、真光系神学の考えです。その中には、確かに真理が含まれています。
さらに、自ら発した「怒り・おそれ・悔やみ・悲しみ」等の「想念」もそれが、外的事象に多大に影響を与えるという「想念の現象化・顕在化」という問題もあります。

世界救世教の岡田茂吉師などは、「天変地異は、人間の想念の曇りが惹き起こす」とまで言っています。

ですから、私たちは自己に内在する「過去・現在・未来」の中で、「現在の想念」を正し、さらに「過去の想念」の放出によって、現象化しつつある外的事象に対し、「スの極光」と自己のつながりを持ち続け、その顕在化への阻止をすることが肝要です。

さらに、自己に【多次元的】に内在する、御先祖関係の罪穢れも、現在を生きる私たちの「真心」によって、「浄化」する方向性が不可欠となってきます。

【潔斎】という言葉の中にある神道的な玄義を、私は、人間は、「光の入れ物」即ち【光器】であるという視座から捉えています。

即ち、人間が【光の器】であるためには、常に自己の「内側」即ち、心や意識を磨き続けていなければならない、と考えます。それが【潔斎】の意識光学的の「光義」です。

そのための方法論は、すでにこの地上に降ろされているものの中で、最も「効果的」なものを用いるべしというのが、私の考えです。

それは、他人に依存するものではいけません。また、誰でも出来るものでなくてはなりません。また、未浄化霊一体に付き、何十万、何百万などという「御供養ビジネス」の餌食になるような法外なものでもいけません。
すると、大体現在利用出来るその方法論は限定されて来ます。

岡本天明先生は、自らの【大奥山】を、代々木、麻賀多、岐阜、北伊勢と「進展」させて、常に「人の中」にあり、「人との交わり」の中で、神様の動きを感じ、御神示を天授されていました。

岡本天明先生は、常に、「御神業」としての人生の中を歩いて来られたということを御認識下さい。その辺りの「厳しさ」の認識が、現実に岡本天明先生を知る方に直接接していた私たちと、そのような御経験のない方たちとの、大きな違いかも知れません。

この世は、常に【相関性】【相対性】の中にあります。自己を絶対視しないことが、人間にとっての一つの大きな「救済」でもあります。「休む」時は「休めば良い」というのが、神様の御心です。その意味で、ゆっくりとお休みになるべき人は、心ゆくまで心と体を休ませて頂きたいと思います。

ちなみに、岡本天明先生は、亡くなる直前まで、【ひふみ神示】の第1訳の「校正」をやっておられました。それは、その当時、お側に付いておられた方に直接お聞きしています。その方も亡くなられましたが。

そして、私の師である武市瑞月先生も、病床のベッドに【ひふみ神示の御経綸の解明】の原稿用紙を持ち込んで、原稿をお書きになっていました。

私は、その様に先覚者たちの志を継いで、常に「前向き」そして「神向き」さらには「光向き」で生きてゆきたいと思うです。

そこに存在する、「霊現交流者」としての「厳しさ」を感じて頂きたいと思います。

【想念の浄化】もしくは【潔斎】の方法論は、あくまで【相対的】です。
究極は、スの神様の「極光」への【遡光性】の中にこそ、存在します。

【想念の浄化】さらには【潔斎】の方法論は、幾つも知っていた方が良い、というのが、私の持論です。

【光の玉手箱】には、まだまだ「未公開」の「光義」を持ついろいろな「光の御業(みわざ)」が胎蔵されていることを、御承知頂きたいと思います。

【絶対はこの現界にはない】この宇宙律を、一つここで確認しておきたいと思います。


以上、少し難しいかもしれませんが、これを理解してから、「想念の浄化」や「潔斎」に励まれると、一段とそのスピードが速くなって、「浄化」の程度も深くなってくると思います。

2009年6月23日火曜日

6月28日(日)第3回『実践意識光学』連続講演会







【6月28日(日曜日)第3回『実践意識光学』連続講演会】

【特報】

当日、御出席の方には、本年【2009年ガイアリズムチャート】の【解説版】を、参考資料として、配布する予定です。

☆最近の社会・経済事象・天災の奥に潜む、『天の異象』『地の異象』『人の異象』の真義について、具体的な事象を例に取りながら、解説を加えていきたいと思います。
☆社会経済事象としては、「リーマンショック」「GMショック」と続く、未曾有の経済不況の行く末と日本の将来。そして、「豚インフルエンザ」に顕著なその例を見る、「人災」の傾向性と対策。自民党「55年体制」の終焉の可能性と政局。
「北朝鮮ミサイル発射」とアジアの政局。イラン大統領選挙後の中東情勢、等
☆天災・自然災害関係としては、第24期を向かえた、太陽活動の状況、7月22日の南日本を中心とする、「皆既日食」と天変地異。「アスペラトゥス雲」。
6月12日・千島列島・芙蓉山(松輪富士)(サリチェフ火山)が噴火。カムチャツカ半島のシヴェルチ山が大噴火。
☆【安芸の宮島・御山(みせん)神社御神業】(5月28日)・【出雲御神業】(5月30日)【琵琶湖湖畔御神業】(5月31日)・【麻賀多神社御神業】(6月10日)の経緯と御報告等。

2009年 6月28日(日曜日)
【未来潮流研究会】2009年(平成21年)度・第3回『実践意識光学』連続講演会

人類光覚・光相転位(アセンション)・神典「日月神示」・世界情勢の超真相解明!

【テーマ】
神典『日月神示』と秘教的○ゝ(まこと)神道に秘められた 【『2012年魂の超転換(ソウルアセンション)』と神典『日月神示』iに秘められた『天の異象』『地の異象』『人の異象』の神義】

【日付】
平成21年 2009年 6月28日(日曜日)
【時間】    
【講演会】     
【第一部】 13時30分~15時過ぎくらいまで。    
 講師  橘 千榮 (橘流写経教授・日本学研究会)
【テーマ】 橘流写経と「地球の浄化」(予定)        
 橘高 啓 (富士高天原・富士超古代史研究家)
【テーマ】 富士超古代史と、「邪馬台国」(予定)
      
【第二部】 15時30分~17時30ぐらいまで。      
講師 岡田 光興 (未来潮流研究会 代表)
【テーマ】 神典『日月神示』と秘教的○ゝ(まこと)神道に秘められた 【『2012年魂の超転換(ソウルアセンション)』と神典『日月神示』iに秘められた『天の異象』『地の異象』『人の異象』の神義】
   
【お茶会】=17時半から21時くらいまで。

【受講料】 講演会(第一・二部)3000円 お茶会  500円

【場所】
隠田(おんでん)区民会館(1F正面)((JR原宿駅・地下鉄千代田線明治神宮前駅下車徒歩5分・表参道と明治通りの交差点近く。 ) 渋谷区神宮前6-31-5

【電話】  03-3407-1807

【地図】
http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%BD%C2%C3%AB%B6%E8%BF%C0%B5%DC%C1%B0%A3%B6%A1%DD%A3%B3%A3%B1%A1%DD%A3%B5&lat=35.6649125&lon=139.70791694&type=&ei=euc-jp&sc=3&lnm=%B6%E8%CE%A9%BF%C0%B5%DC%C1%B0%B2%BA%C5%C4%B6%E8%CC%B1%B2%F1%B4%DB&idx=33

☆ お茶会からのご参加の方も、事前に事務局までお申し込み下さい。

【お問い合わせ先】

【未来潮流研究会 事務局】
【Tel・Fax】 04-2963-8315 定員50名です。必ずご連絡をお願いします。

【写真】の上は、出雲の稲佐の浜。次が、2月2日に噴火した「浅間山」。 下が、近江の「沙沙貴神社」の「少彦名の御神石」。

「日月神示」初発の神示・第1訳と発祥65年目の今日・岡本天明先生の真意







【『ひふみ神示』発祥65年目の今日と岡本天明先生の真意】

平成21年6月10日は、神典『ひふみ神示』の初発の御神示から、「65年目」の神日でした。また、今年は岡本天明先生の「47回忌」に当たりました。 この岡本天明先生が天授された『ひふみ神示』『日月神示』の出現に至る経緯を、岡本天明先生自身がお書きになられた文章と、未亡人である、岡本三典氏が書かれた文章によって、詳細をたどっていきたいと思います。 まず、岡本天明先生御自身の書かれた文章を見てみたいと思います。  

 【以下、引用部分です。】

【日月地神の出現】

 岡本天明著(『日月地聖典』下巻 巻末「後がき」より)(昭和三十八年十月二十四日・旧九月八日発行)

【昭和十九年四月十八日、東京、原宿にあった修史協翼会で「扶乩(註・フーチ)」の実験会が行はれた。集った人々は太陽工業社長の高井是容氏、陸軍少将の小川喜一氏等十数名で、私が審神者兼司会の役をつとめたのであるが、何れも科学陣営の人々で、心灵(註・霊)現象、特にカミカカリなどについては、全然信じていなかったのであります。扶乩は御承知のように「二人が一体となって」灵(註・霊)現象を起すもので、支那では古くから御神意を伺ふ場合に行ったらしく、現在でも世界紅卍字会をはじめ、色々な結社で行って居ります。  「巫(かむなぎ)」と云ふ字は、この行事から出来たらしく、Tは乩木の形で、その両端に二人の人が居り、下の一は砂盤又は紙をかたどったものでありましょう。私がこの形式をとったのは、実験者に疑う余地を少なくしたい為でありました。 さて、最初、実験にかかったのは前記高井氏と某婦人であったが、数分後灵(註・霊)動を起し、砂盤の上に大きな文字で「天」と書記し、つづいて「ひ」「つ」「く」と書記された。多分御神名であろうと思ったので、そのことを伺ったが、それに対する返事はなかった。次に小川将軍が誰かと一組になって試みたところ今度は「日月のかみ」と書記されました。引きつづいて幾組か実験したが、何れも「ひつきの神」又は「天之日月神」としめされるだけで、他の質問に対しては御返答がなかった。しかし第一回目の実験としては、先ず先ず上出来と云わねばなりません。  ここで問題となったのは「天之日月神」なるものが果して存在するのか?下級灵(註・霊)のいたづらなのか?一寸判断に困ったわけですが、実験された人々は異常な興味を持ったらしく、神名辞典等、手あたり次第に調べたが、何等の手がかりなく、ウヤムヤに終わった次第であります。  こんな事があってから数日後、実験者の一人であった森崎鉄男氏が、平凡社発行の百科辞典の中から「天之日月神社」のあることを発見した。それによると「千葉県印旛郡公津村台方(現在の成田市台方)に延喜式内社の麻賀多神宮(ママ)があり。その末社に天之日月神社がある」と云ふことで、一応の結末がついたわけであります。  私の先輩に高田集蔵と云ふ老先生がある。五月のはじめ、千駄ヶ谷の鳩森宮に奉仕してゐる私を訪ねて下さった。先生はお酒が非常にお好きであった為め、いつもさし上げるのが例となって居た。だが、当時は敗戦直前で物資に乏しく、酒などと云ふものは絶対にお目にかかれぬ存在であったが、神社に対しては神酒として毎月少量の配給がありました。私は高田先生がそのお神酒の香をかぎつけられたのではないかと、失礼なことを考えてゐたところ「天明さん、いつもあんたに飲ませてもらってゐるのだが、今日はわしが一杯さしあげようと思って来ましたぢゃ」とのお話、よくよく伺って見ると、酒は酒でも清酒ではなくドブロクで、かなり遠い田舎迄行かねばならぬとのことでした。  私も酒には目がない方で、話は即座にまとまとり、六月の十日に出かける約束となり、用意万端ととのえて居ったところ、九日の夕方になって高田先生が来られ、ドブロクを飲ましてくれる小川さんから手紙が来て「やむない客があったのでドブロクはなくなった。あと半月位まってくれ」とのことだから、十日に行っても仕方がない。次の機会まで待ってくれ……とのお話でした。しかし私としては八幡宮は公休をとり、前日申告と云ふ厄介な手続をして御符まで求めてゐたので、今更変更するのも妙なもので、ドブロクさへあきらめるならよいのだから、兎も角も予定通りにやってみたくなり、その小川(源一郎氏健在)さん方へ行く道順を尋ねて見ました。所がどうでしょう。小川さんの家は、天之日月神社のある公津村だったのです。  私の決心はハッキリ定まった。翌十日、即ち昭和十九年六月十日に天之日月神社に参拝しました。そして、その神前で二十年ぶりに強い灵(註・霊)感を受けて自動書記現象が始まった。これが日月地神示第一巻の第一帖と第二帖であります。】

次に、岡本天明先生の未亡人の、岡本三典氏の書かれた文章から、その経緯を探ってみたいと思います。
    【以下、引用部分です。】

【『岡本天明筆 一二三(ひふみ)』(上巻)】 【あとがき】より 

岡本三典著述部分 (昭和五十三年五月一日(旧))発行

【昭和十九年六月十日に、画家岡本天明は、千葉県成田市台方に在る麻賀多神社の境内の、天之日津久神社に参拝しました時、突然右手血管が怒張激痛し、止むを得ずに丁度持っていた矢立を、画仙紙に当てた処、自然に手が動き出し、自動書記が始まりました。若い頃はいろいろ奇現象を体験して、つくづく霊現象が不快になり、絶対に関係を絶ったつもりでいた所へ、十数年ぶりに強力な自動書記現象を初めて体験させられたのです。自動書記とは、自分の(人間の)意志には関係なく、手が自然にうごいて宇宙意志が下ろされる事です。  之が『一二三』(ひふみ)の発端で、それからは間歇的にはありますが、約十六年間続きました。……。(以下略)】

では、昭和19年6月10日に、印旛沼のほとりの台方の麻賀多神社で、岡本天明先生「天授」された、この『ひふみ神示』第一巻「上つ巻」の第一帖と第二帖を、いわゆる【第1訳】によって見ていきたいと思います。 尚、現在市販されている『ひふみ神示』は、いわゆる【第2訳】と呼ばれているものであり、岡本天明先生が、生前「校閲」ないし「監修」されたものではありません。

【第1訳】【第1巻 上つ巻  第01帖 (001)】

【富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通うして呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初って二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土が上がる、外国はお土が下がる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかゝって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来るまこと(マルチョン)は神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。戦は今年中と言っゐるが、そんなちよこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあ か、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾萬倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。神が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。】 (校閲・岡田光興)

【第1訳】【第1巻 上つ巻  第02帖 (002)】

【親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもこゝまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍萬倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。早く まこと(マルチョン)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うまこと(マルチョン)神ごゝろになりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこゝろ、稜威ぞ。人の智恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損ひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をさせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。まこと(マルチョン)の国を八つに切って殺す悪の計画、まこと(マルチョン)の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。六月の十日、昭和、ひつくの神。天明御苦労ぞ。(校閲・岡田光興)

  (註1)【第1訳】には、最後の「天明御苦労ぞ。」は、欠落している。但し、【第2訳】には、「てんめ御苦労ぞ」とある。それに対して、【原典日月神示】では、「てんめ五九ろウ三」(てんめごくろうぞ)とある。ここでは、文意と状況から、「てんめ」を「天明」とした。

(註2)【第1訳】では、「つ」は全て、大文字になっている。今回は、文意に沿って、音便は、小文字にした。

(註3)【第1訳】では、「マルチョン」には、読み仮名がふられていない。ここでは、「まこと」という読み仮名で統一し、括弧に(マルチョン)とした。
【写真】は、上が、平成21年6月10日、天之日津久神社に降りた神光。中が、新装された社名碑と天之日津久神社。下が、麻賀多神社本殿。(いづれも、平成21年6月10日撮影。撮影者 岡田光興)