2009年7月30日木曜日

岩戸開きの御用の御魂と『御魂』の岩戸開き







【岩戸開きの御用の御魂と『御魂』の岩戸開き】

「岩戸開き」という言葉は、日月神示では、大変重要な神義を有する言葉です。
しかし、「御魂」の「岩戸開き」というこの御神示から私達は、どのようなことをこれからなさなければならいかを、改めて考えさせられます。

天災・人災によって、人類が「光覚」に至るのではなく、そこにあるのは、「自立的光化」「内在的光化」の必要性です。

このことに気付かれた方々も、その「方法論」に、混迷を感じられることでしょう。

日月神示に「内包」されたその「光理」は、それをしっかりと紐解くことによって、人類を「内在的光化」「魂の光化」へと「光導」していくものなのです

詳しくは、日月神示に内包された、「光醒」への「光の指標」である「実践意識光学」で詳しく教示していく予定です。
写真は、7月22日の南九州での「皆既日食」の時に、滋賀県の「長浜市」で、筆者が実見し、撮影した「部分日食」です。

【第6巻・日月の巻  第2帖(175)】(昭和19年旧9月2日)

【三千年三千世界乱れたる、罪やけがれを身において、此の世の裏に隠(か)れしまま、此の世構ひし大神の、みこと畏み此の度の、岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ、今 落ちぶれてゐるとても、軈(やが)ては神の御民とし、天地(あめつち)駈けり神国の、救ひの神と現はれる、時近づきぬ御民等よ。今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。みたまさちはへましまさむ。旧九月二日、ひつ九のか三。】

【第8巻・磐戸の巻 第16帖 (252)】(昭和20年1月14日)

【世の元からの生神が揃うて現はれたら、皆腰ぬかして、目パチクリさして、もの云へん様になるのざぞ。神徳貰うた臣民でないと中々越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負ひきれん迄にやるぞ、大き器もちて御座れよ、掃除した大きいれものいくらでも持ちて御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来てゐるのざから安心して御用つとめてくれよ。今度はマコトの神の力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、日本の国は小さいが天と地との神力強い、神のマコトの元の国であるぞ。洗濯と申すのは何事によらん、人間心すてて仕舞て、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つもうたがはず生れ赤子の心のうぶ心になりて、神の教守ることぞ。ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすることぞ。学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ざと云ふこと判らんか、今度の岩戸開きはミタマから、根本からかへてゆくのざから、中々であるぞ、天災や戦ばかりでは中々らちあかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思ふてゐると判らんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ、今度は上中下三段にわけてあるミタマの因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本からつくりかへるよりは何れだけ六ヶ敷いか、大層な骨折りざぞよ。叱るばかりでは改心出来んから喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪の神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引寄せて御用さしてあるのざ、めったに見当くるわんぞ、神が綱かけたら中々はなさんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくる廻って又始めからお出直しで御用せなならん様になって来るぞ。ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲(いずも)の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ。ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。一月十四日、 の一二のか三。】

2009年7月20日月曜日

夜明けの御用


【松の巻 第27帖 (318)】(昭和20年7月14日)


 【天も地も一つにまぜし大嵐、攻め来る敵は駿河灘(するがなだ)、富士を境に真二つ。先づ切り取りて残るもの、七つに裂かん仕組なり。されど日本は神の国。最後の仕組神力に、寄せ来る敵は魂まで、一人残らずのうにする。夜明けの御用つとめかし。晴れたる富士のすがすがし。七月十四日、あめのひつくのかみ。】

2009年7月19日日曜日

秘教的神道霊学と「日月神示」







【秘教的神道霊学と「日月神示」】


「ひふみ神示」の天授者の岡本天明先生は、昭和19年6月10日の「初発の御神示」の天授の前に、秘教的神代学の山口志道の「水穂伝」(みずほつたえ)を独自に翻訳されて、出版されていたことは、この分野の研究家には知られていることです。

しかし、この昭和22年の「ひかり教会」の「教旨」の「解説」部分の御神示には「与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五つのはたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。」とあります。

これは、「近代霊学の祖」、「霊学中興の祖」と言われている、本田親徳(ちかあつ)翁「霊学の要諦」をその「教旨」に直接盛り込んでいることは、余り知られていません。
本田親徳(ちかあつ)翁の高弟の長沢雄楯(かつたて)翁は、静岡県の清水市の御穂神社、月見里笠森神社等の宮司を歴任し、自ら「稲荷講社」を作り、若き日の出口王仁三郎聖師、友清歓真氏なとも、その謦咳に直接触れています。

言わば、大本系、そしてそこから派生した「霊学団体」の「霊学的中枢」がこの「本田霊学」の中に存在するわけです。

本田親徳(ちかあつ)翁の著書『道之大原』の中に、『省(かへりみ)る、恥(はじ)る、悔(くゆ)る、畏(おそ)る、覚(さと)るの五情は霊魂中に含有す。及(すなわ)ち神命の戒律なり。末世の無識、妄(みだ)りに戒律を作り後学を眩惑す、神府の罪奴と謂ふべし』とあります。

本田霊学の中では、「一霊四魂」の中に、この「五情」が「含有」されるとされています。

この「五情」を一霊四魂に配当して本田翁は長沢翁の質問に対して次の様に答えられています。

荒魂(勇・進・果)―覚   (反対) 争

和魂(親・平・交)―畏   (反対) 悪

直霊        省   (反対) 曲霊

幸霊        悔   (反対) 逆

奇魂(愛・巧・察)―恥   (反対) 狂

つまり、この御神示の中の「潔斎」とは、自らの「一霊四魂」の中に「内包」される「五情」を「潔斎」することがその原点なのだと解されるのです。

この「一霊四魂」に対する解説は、本日の「第4回実践意識光学連続講座」の「ソウルチャート・魂の光象図」の中で、より詳細に解説する予定です。

【7月19日(日曜日)第4回『実践意識光学』連続講演会のお知らせ!】

【青葉の巻 第03帖 (472)】(昭和22年5月12日)

【ひかり教の教旨 書き知らすぞ、人民その時、所に通用する様にして説いて知らせよ。

 教旨

 天地(てんち)不二、神人合一。天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は天(あめ)なり、不二(ふじ)なり、アメツチなり、神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。神、幽、現、を通じ、過、現、末、を一貫して神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。
 次に信者の実践のこと書き知らすぞ。

 三大実践主義

 弥栄実践
 祓実践
  (まつり)実践

大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められてゐるのざぞ、弥栄が神の御意志ざぞ、神の働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。人としては其の刹那々々に弥栄を思ひ、弥栄を実践して行かねばならんのざぞ。宇宙の総ては となってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どんな小さい世界でも、悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ、人々のことごとマツリ合はすはもとより、神、幽、現、の大和実践して行かねばならんのざぞ。天地(あめつち)の大祓ひと呼応して国の潔斎、人の潔斎、祓ひ清めせねばならんのざぞ、与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五つのはたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。役員よきにして今の世に、よき様に説いて聞かして、先づ七七、四十九人、三百四十三人、二千四百 一人の信者早うつくれよ、信者は光ぞ、それが出来たら足場出来るのざぞ。産土の神様 祀りたら、信者出来たら、国魂の神様 祀れよ、次に大国魂の神様 祀れよ、世光来るぞ。五月十二日、ひつ九のかミ。 】

写真は、左が、岡本天明先生。中央が、本田親徳(ちかあつ)翁。右が出口王仁三郎聖師です。

2009年7月17日金曜日

身魂の「光別」】と「日月神示」




【身魂の「光別」】と「日月神示」】

日月神示によれば、身魂は「上」「中」「下」三段に「光別」されていると神示されています。
これは、来るべき「光の世」「御光の世」「喜びの世」「うれしうれしの世」「新しき光の世」「光の岸」「ミロクの世」等の言葉で神示されている「新たなる次元の世界」への「準備の程度の差」であると考えられます。

「一霊四魂」論を背景とした、日本の秘教的霊学の中に、「魂の光相転位」(ソウルアセンション)の秘鍵が太古より、封印れており、今この神刻(かみとき)に至り、それらが顕在化してきている感があます。

これらの、日本の秘教的霊学の中に「光蔵」されて来た、言霊、数霊、秘教的「霊魂論」等を背景にした、「ソウルチャート」「魂の光象図」の具体的解説を、7月19日の「実践意識光学」で解説します。

【7月19日(日曜日)第4回『実践意識光学』連続講演会のお知らせ】
http://histukishingi.blogspot.com/2009/07/blog-post_17.html


【第2巻 下つ巻 第20帖 (062)】(昭和19年7月23日)

上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。七月の二十三日、ひつ九のかみ 。】

【第7巻 日の出の巻 第09帖 (222)】(昭和19年12月8日)

【人、神とまつはれば喜悦(うれ)しうれしぞ、まつはれば人でなく神となるのぞ、それが真実(まこと)の神の世ぞ、神は人にまつはるのざぞ、 ゝと〇と申してあろが、戦も ゝと〇と壊し合ふのでは無いぞ、 ゝと〇とまつらふことぞ、岩戸開く一つの鍵ざぞ、和すことぞ、神国真中に和すことぞ。それには〇掃除せなならんぞ、それが今度の戦ぞ、戦の大将が神祀らねばならんぞ。二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。神まつりは神主ばかりするのではないぞ、剣と鏡とまつらなならんぞ、まつはれば霊(たま)となるのざぞ。霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、(以下略)



【第13巻 雨の巻 第02帖 (336)】(昭和20年10月14日)

【天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、 とは外国の事ぞ、(マルチョン)が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、びっくり箱あくぞ、八九の次は十であるぞよ。何事もウラハラと申してあろが、ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。】
(以下略)

7月19日(日曜日)第4回『実践意識光学』連続講演会のお知らせ





【7月19日(日曜日)第4回『実践意識光学』連続講演会】のお知らせ

【主要なテーマ】

【2012年魂の超転換(ソウルアセンション)と神示に黙示されたソウルチャート(魂の光象図)】の全て】

【特報】

当日、御出席の方には、【『魂の光象図』ソウルチャート】の【簡易式の鑑定シート】を、参加者全員に差し上げる予定です。(別途鑑定費用は入りません。)
詳しい鑑定を御希望の方は、事前にお申し込み頂ければ、別途お時間をお取り出来る様に致します。こちらは有料になります。詳細は、メッセージその他で、お問い合わせ下さい。

2012年のアセンションの話題と情報が、いろいろと世間に広まってきています。
ハリウッド映画『2012』が、今年末に日本でも公開される予定となりました。
今年から来年にかけて、「2012年問題」は、より多くの方々の興味と関心の的となると思います。また、『2012』という題名の科学ジャーナリストが書いた著書も、NHK出版から昨年暮れに出版されました。

その様な中で、私は一貫して、「アセンション」とは、現実的な事象の「劇的変容」という面に先立って、人間の「魂」の「劇的精華」、「魂の光相転位」であると主張して来ました。この事は、「アセンション」について、60年以上も前から「預言」されていた、神典「ひふみ神示」の中にも、確かに神示かつ黙示されているものなのです。
前回、お話した、「天の異象」・「人の異象」・「地の異象」とは、まさにこの「魂の光相転位」・「ソウルアセンション」への一つの大きな「序章」であると考えられます。

この「魂の光相転位」・「ソウルアセンション」を迎える私たちに、大きな「示唆」を与えてくれるのが、「祖型国家」日本に胎蔵されていた、秘教的霊学なのです。
特に、秘教的神道霊学に隠されていた、「一霊四魂」論を「光の機軸」とする、「魂の心理学」とも言える秘教体系は、なかなか表に表れることがなく、現在まで、大切に温存されて来ました。

神典『ひふみ神示』の中には、確実にこの「一霊四魂」論を「光の機軸」とした「魂の光相転位」・「ソウルアセンション」の内容が神示されています。そのことが、神典『ひふみ神示』をして、世の中の人に、無意識的に広まっている最大の要因であると、私は考えています。

私の「神意光案」した『魂の光象図』『ソウルチャート』は、すでに千人以上の方々を見させて頂いております。
その中で、自らの「魂の傾向性」を新たな次元で発見し、自己の神性の探求にお役立て頂いている方々が数多くいらっしゃいます。
また、過去の多くの「霊覚者」の方々の「ソウルチャート」についても調べています。
その中から、多くの神的・霊的な事象が確認されています。

「魂の光象図」・「ソウルチャート」は、祖型国家日本に「光蔵」されていた、秘教的霊学の「要諦」をその理論的背景にしています。それ故、御自分の「魂の光象図」・「ソウルチャート」を知る事は、自身の「魂の傾向性」「光相の傾向性」を確認することになるだけでなく、今まで表になかなか出ることのなかった、秘教国家日本の「魂の叡智」への「光の扉」を開顕することにもなるのです。

岡本天明先生が神上がられて以来、実に47年の間、北伊勢至恩郷を守り続けて来た、御婦人である岡本三典氏が、先月の6月23日に御逝去されました。その岡本三典氏の「魂の光相転位」・「ソウルアセンション」を深く祈念しつつ、岡本三典氏、そして北伊勢至恩郷の神的・御経綸上の神義・光義についても、お話させて頂く予定です。

御神縁・御光縁のある方々の御参集を心よりお待ちしております。

              岡田 光興 光拝

2009年 7月19日(日曜日)

【未来潮流研究会】2009年(平成21年)度・第4回『実践意識光学』連続講演会
人類光覚・光相転位(アセンション)・神典「日月神示」・世界情勢の超真相解明!
【テーマ】
神典『日月神示』と秘教的○ゝ(まこと)神道に秘められた
【『2012年魂の超転換(ソウルアセンション)』と神典『日月神示』に秘められた 【2012年魂の超転換(ソウルアセンション)と神示に黙示されたソウルチャート(魂の光象図)】の全て】

【日付】平成21年 2009年 7月19日(日曜日)
【時間】
   【講演会】
 【第一部】 13時30分~15時迄。
    講師  橘 千榮 (橘流写経教授・日本学研究会)

【テーマ】
橘流写経と「一霊四魂」の浄化】(予定)

【第二部】 15時15分~17時30分まで。
     講師 岡田 光興 (未来潮流研究会 代表)
【テーマ】

神典『日月神示』と秘教的○ゝ(まこと)神道に秘められた
【『2012年魂の超転換(ソウルアセンション)』と神典『日月神示』に秘められた 【2012年魂の超転換(ソウルアセンション)と神示に黙示されたソウルチャート(魂の光象図)】の全て】

 【お茶会】=17時半から21時くらいまで。

 この「お茶会」で、出来る限り御参加された方の「ソウルチャート」の直接鑑定をさせて頂く予定です。
【受講料】 講演会(第一・二部)3000円 お茶会  500円
【場所】隠田(おんでん)区民会館(1F正面)((JR原宿駅・地下鉄千代田線明治神宮前駅下車徒歩5分・表参道と明治通りの交差点近く。 )
渋谷区神宮前6-31-5
【電話】03-3407-1807
【地図】

http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%BD%C2%C3%AB%B6%E8%BF%C0%B5%DC%C1%B0%A3%B6%A1%DD%A3%B3%A3%B1%A1%DD%A3%B5&lat=35.6649125&lon=139.70791694&type=&ei=euc-jp&sc=3&lnm=%B6%E8%CE%A9%BF%C0%B5%DC%C1%B0%B2%BA%C5%C4%B6%E8%CC%B1%B2%F1%B4%DB&idx=33
☆お茶会からのご参加の方も、事前に事務局までお申し込み下さい。

【お問い合わせ先】
【未来潮流研究会 事務局】
【Tel・Fax】04-2963-8315

定員50名です。必ずご連絡をお願いします。
御都合により、講演会に御出席が出来ずに、お茶会のみの御出席希望の方も、事前に御連絡下さい。

7月4日と5日の北伊勢の至恩郷の御参拝以来、いろいろと「光相」が変化している感があります。

京都の八坂神社(「ひふみ神示」の弥栄(やさか)祈願・岡本三典御婦人との御神縁のお社)。近江の沙沙貴神社と少彦名神を祀る「磐座」多賀大社とその奥宮と言われる「磐座」のある胡宮神社彦根城、「遠州七不思議」の一つである、静岡県の掛川市の「小夜の中山の夜泣き石」そして静岡県の清水市の御穂神社と三保の松原、そして。さらには、大本の出口聖師の霊学上の師であった長沢雄楯(かつたて)翁ゆかりの、月見里(やまなし)笠森稲荷神社。三島市の三島大社。

これらのお社に御神縁を持ち、御参拝と誓約(うけい)をさせて頂きました。

近代霊学の祖と言われる、本田親徳(ちかあつ)翁の足跡とその霊学的業績は、大本他の新宗教の中に深く根を下ろしていますが、その霊学的真義は、すでに教団内の教説の中では、「間接伝聞」としてのものとなっています。

本田翁の足跡を、自分なりに長年追っていきたいと考えておりましたが、久しぶりに御穂神社等に御参拝して、改めて再認識するものがありました。

「遠州七不思議」の一つである、静岡県の掛川市の「小夜の中山の夜泣き石」は、熊野三山奥の院の玉置神社の玉石社の御神体ある「玉石」を連想させるもので、単なる「伝説」の領域を越えた、「神脈」「光脈」の重要な型代であると感じました。
また、後日日記等で御紹介させて頂きます。

新しき、「みあれ」のための様々な「光の胎動」が各地で展開されている様です。

「ソウルチャート」「魂の光象図」に、御神縁を持たれた方は、様々な「光転」を体験されておられます。

今回は、7月22日の南九州の屋久島等の「皆既日食」を真近に控えた7月の19日(トコタチ)の日の講演会です。

「皆既日食」という「天の異象」の神義・光義についても、解説を加える予定です。

皆様の御来講をお待ちしています。

2009年7月14日火曜日

日月神示と一霊四魂・魂の光相







【日月神示と一霊四魂・魂の光相】

【黄金の巻 第21帖 (532)】(昭和24年11月17日以降のかのととりの日)

言はれる間はよいぞ。読まれる間はよいぞ。綱切れたら沖の舟、神信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。日本の国のミタマ曇ってゐることひどいぞ。外国、同様ながら筋通ってゐるぞ。型にはめると動きないことになるぞ。型外せと申してあらうが。自分で自分を監視せよ。顕斎のみでも迷信、幽斎のみでも迷信、二つ行っても迷信ぞ。二つ融け合って生れた一つの正斎を中として顕幽、両斎を外としてまつるのが大祭りであるぞ。荒、和、幸、奇、ミタマ統べるのが直日のみたま。みすまるのたまぞ。今度は直日のみでなくてはならん。直日弥栄えて直日月 の能(ハタラキ)となるのぞ。食物 気つけよ。信仰は感情ぞ。飢えた人には食物。神よ勝て。人間 勝ってはならんぞ。かのととり。一二十
写真は沖縄本島北部の伊平屋島の一名「天の岩戸」と呼ばれている「クマノ洞窟」

2009年7月11日土曜日

高天原 神の国 真中の国







【高天原 神の国 真中の国】

【第13巻 雨の巻 第12帖 (346)】 昭和20年12月7日

【上面(うわっつら)洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ。出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ。悪神は如何様にでも変化(へんげ)るから、悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから くどう申してゐるのざぞ、悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来るから気付けておくのざ。まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、妙な事 此の方がさしてゐるのざから、神の臣民 心配ないなれど、さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。天の様子も変りて来るぞ。何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、キリキリ気付けて下され、人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ、今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、世界は神の国、神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのさぞ、間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。十二月七日、七つ九のか三神示。】
この御神示の中で、「高天原」「たかあまはら」と読むのが正しい読み方です。
「高天原」は、外的事象の中に存在すると共に、自己の内的心象世界の中にも存在するのです。言わば、外的「真象」と内的「真象」の響神性とも言うべきものです。
「ミクロコスモス」と「マクロコスモス」のシンクロニシティとも言い換えられるでしょう。

ちなみに、「日月神示」には、「渦海の御用」として、「渦海の鳴門」、「渦海の諏訪」、「渦海のマアカタ」とあり、「渦海のマアカタ」とは「印旛」であると神示されている。(第7巻・『日月の巻・第18帖等参照』)

この「渦海のマアカタ」の「マアカタ」は、逆に読むと「タカアマ」であり、「高天原」の「タカアマ」なのです。

つまり、「心象世界の絶対的安寧」としての「高天原」と共に、「天の高天原」を「地」に「移写」
すること、つまり「地の高天原の建設」こそが、神様の御経綸の中での最大の目的なのです。

そして、その「中心的神磁場」となる地を、「ひふみ神示」では、「大奥山」と呼んでいるのです。

また、大本のお筆先では、「三千世界一度に開く梅の花」と初発の御神示にありますが、この御神示では、「三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、」、「神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ」とあります。

真中の国としての「祖型性」を持つ日本、「世の元からの誠一つの神」の御経綸、御神策の「光の機軸」の国として、現在もその神的機能を持っていることを、私たちは自覚すべきであると考えます。

この「日本」及び「日本人」の「祖型性」に対する、一つの秘教的言霊学、そしい数霊学、さらには、色霊学からの「意識光学的アプローチ」の手段が、「魂の光象学」「ソウルチャート」です。次の7月19日(日曜日の)第4回『実践意識光学』連続講演会では、この「魂の光象学」「ソウルチャート」について、詳しく御説明する予定です。

【7月19日(日曜日)第4回『実践意識光学』連続講演会のお知らせ!】

http://blogs.yahoo.co.jp/a313jyuon/3409272.html





2009年7月10日金曜日

光食系に生きる!







【光食系に生きる!】

北伊勢、京都、滋賀、琵琶湖、静岡の清水市と、御神縁のあるお社(やしろ)に御参拝をしてきました。

最近のいろいろな「人種系」には、とても興味深いものがあります。
草食系。肉食系。植物系。クーガー女系。(アメリカ版)。エコエロ系。

それに例えて言えば、私達の目指すは「光食系」でしょうか。
「光を食(は)む」については、神典「ひふみ神示」の第6巻『日月の巻・第29帖』に次の様に御神示があります。

【日月の巻 第29帖 (202)】(昭和19年11月25日)

【一日一日(ひとひひとひ)みことの世となるぞ。神の事いふよりみことないぞ。物云ふなよ。みこと云ふのぞ。みこと神ざぞ。道ぞ。アぞ。世変るのぞ。何もはげしく引上げぞ。戦も引上げぞ。役に不足申すでないぞ。光食へよ。息ざぞ。素盞鳴尊(スサナルノミコト)まつり呉れよ。急ぐぞ。うなばらとはこのくにぞ。十一月二十五日、一二◎。】

「ひふみ神示」と向き合って、62年の岡本天明御婦人の岡本三典氏が6月23日に御逝去されました。

遺影の前で、彼女は静かに笑みを浮かべていました。

御在所岳の見える桜の樹の下に撒かれた、彼女の遺骨も、きっと桜の樹の成長と共に、新たな生命へと「転換」されると感じました。

自分にどのような「御用」が出来るのか?

とても難しい質問です。

「ひふみ神示」の禅問答の様な御神示を、真正面に受け止めて以来、60有余年を生きられ、享年91歳で亡くなられた岡本三典氏の人生は、「常にお筆と共にあった」と言えると考えます。

「神ながら」の生き方とは、「徹底的に光向き」に生きることでもあります。

「信念」の強い者が、最後には勝つのが「我よし」ならば、「光向き」に徹底的に生き抜く者は、「嬉し嬉し」の立場です。

私は、この「嬉し嬉し」を「嬉し×2」で、ハワイの「アロハ」つまり、「共に生きる」の精神と同一と考えています。

まず、自分が「光嬉し」にならなければ、いや、成り切らなければ、相手を「共に嬉し」へと「光導」することはできないと感じます。

人間は、「光の器」、「光器」です。
まず、自らの「光の器」に「愛と歓喜」を満たすことが、大切と感じます。

一生を「光向き」に生きる「覚悟」があれば、あとは「時」を待つことです。

「光機」到来とでも言いましょうか、神は、人の自我を通じて「神の天意(あい)」を実現させるのです。

ともあれ、徹底的に「ひふみ神示」にこだわって生きていくことを、お勧めします。

そして、徹底的に、「前向き」ならぬ「光向き」に生きていくことをさらにお勧めします。

その先には必ず、「光の苑」・「光の世」があると信じて、今日と言う日を、最大の「神刻(かみとき)」と感じることが出来れば、それは「至光の一瞬」「天意(あい)の中今」であると感じます。

そしてそれは、「魂が自ら光輝く」至福の時の獲得であると感じます。

            

2009年7月5日日曜日

7月3日。至恩郷御参拝。

7月3日。至恩郷御参拝。

7月3日。4日と三重県の菰野町の至恩郷に御参拝しました。
岡本天明先生の御婦人、三典御夫人が、6月23日に御逝去され、その訃報に接し、急遽お弔いに出掛ける事になりました。岡本三典御婦人とは、25年以上のお付き合いでした。

お住まいになっておられた部屋にあった御位牌を拝見して、漸くその実感が湧いて来る感じでした。
その笑顔とお話の幾つかが、ふと思い出されました。

今後の東京の展覧会のことも、亡くなられた後も,従来通りに 11月に行う事が可能なのか、という話題に関しても、結論留保でした。

帰郷してから、いろいろと大変だと感じました。

『神去りぬ人の遺影は現世(うつしよ)の笑(え)みの面影いまだ残せり』

2009年7月3日金曜日

弥栄祈願(やさかきがん)







【弥栄祈願(やさかきがん)】

平成21年6月23日に、神上がられました、岡本天明先生の御婦人であられた、岡本三典氏(本名・岡本多恵子氏)の御霊(みたま)の御前(みまえ)に、「日月神示」の、【弥栄祈願(やさかきがん)祝詞】、【龍音の巻 第02帖 (061)】を献呈させて戴きます。
御生前の数々の業績と、北伊勢至恩郷にての御神業の数々を、心より顕彰させて戴きます。


【弥栄祈願(やさかきがん)祝詞】

【青葉の巻 第23帖 (492)】(昭和22年8月12日)

【かねて見してある弥栄祈願(やさかきがん)せよ、やさかきがん、やさかきがん、やさかきがん、やさ火(か)き火(か)ん、やさ水(か)き水(か)ん、火と水の御恩、弥栄きがん、やさかのまつりぞ、やさかまつりの秘訣(ひけつ)火水(ひみつ)は知らしてあらう。神示よく読めよ。これからの神示は「ひふみ」と申せよ。弥栄。弥栄。闇は止み、正しさのはらむ世はひらきつづき、生まれ出で成るの道、月神はらみ、日神睦びなりて、一二三(ひふみ)を息吹く神々の世、勇む大道ぞ、神むつび、和し、正して成り、月神むつび、和し、ひらき出づ、月日なりてむつび、和し、正しき道みつ、日、月、地、神、一体となりて展(ひら)き、はたらき、無と現われ、愛と展(ひら)きにひらき、勇みに勇む、中心より出づもの、ひらきにひらき結び、一二三(ひふみ)と弥栄(やさか)さかゆ、中心出づ世、世は足り足りて日月地(ひつきくに)一二三四五六七八九十百千万(ひふみよいむなやここのたりももちよろず)はじめなきはじめ。青葉の巻これまで。八月十二日、ひつ九の◎(かみ)。

【龍音の巻 第02帖 (061)】(昭和36年8月3日)型歌形式による神示

【八束穂(やつかほ)の 十束穂(とつかほ)とこそ 実らせ給へ。

 みかのはら みて並べてぞ 天地(アメツチ)の座に。

 御服(みそ)輝(かが)し 明妙照妙和妙(あかてるにぎ) 風のまにまに。

 巫(かむなぎ)の 大御心(おおみこころ)のまま 弥栄(やさか)へむ。

 千木千木(ちぎちぎ)し 瑞(みづ)の御舎(みあらか) 仕へまつらむ。

 御宝前(おんまえ)に 宇豆(うづ)の幣帛(みてくら) たたへまつ栄(さか)。

 大神の咲(えみ)に弥栄(やさか)ゆ 生国足国(いくくにたるくに)。

 狭(さ)き国は 広く峻(さか)しき 国は平(たいら)に。

 日のみかげ 百島千島(ももしまちしま) おつるくまなく。

 青雲(せいうん)の たなびく極(きわ)み 座(し)きます宝座(みくら)。

 甘菜辛菜(あまなからな) 地(ち)の極(きわ)みまで 生(お)ひて尚生(お)ゆ。

 見はるかす 四方(よも)の国みな えらぎ賑(にぎ)はふ。】

【青葉の巻 第23帖 (492)】(昭和22年8月12日)【弥栄祈願】は、岡本天明先生亡き後に、「ひふみ」の極意を探求し続けた、岡本三典氏の魂への、まさに「弥栄祈願」です。

【龍音の巻 第02帖 (061)】(昭和36年8月3日)型歌形式による神示ですが、型歌は19文字で、国常立(くにとこたち)太神の「トコタチ」の神数です。
御神示の内容が、トコタチ数の神律によって、より「光次」なるものへ、精華されています。
型歌の持つ秘儀性を、岡本天明先生は、十二分に知悉されていました。
岡本三典氏編纂による、「かたうた集」も、「岡本天明論文集」に掲載されています。

齢(よわい)90歳にして、岡本天明先生と、毎日「交信」されていたと言っておられた、岡本三典氏。
霊界において、魂の浄化と潔斎の道へと迷わず進まれることを切に希望致します。 この御神示に出てくる、「やさか」は、八坂そのものではありません。
しかし、「弥栄」を「やさか」と敢えて読む時、そこに、「日月神示」の中の「スサナル太神」の神格とお役目が見え隠れします。
「スサノオ神」ではなく、「スサナル神」です。 「ナル」という、「神展・生成化育する過程」がその本義です。 この本義が、「弥栄」なのです。
「ス」さ(と、とか、に、とかの神義です)「ナル」、つまり、極光神としての「ス」神に遡光し「成り成る」過程の状態です。
少し難しいですが、一応解説をしておきました。

2009年7月2日木曜日

岡本三典氏との思い出・水茎の岡・岡本天明展







【岡本三典氏との思い出・水茎の岡・岡本天明展】

昨日は、6月23日に、「日月神示」天授者の岡本天明先生のご夫人である、岡本三典氏が他界されたことを書きました。

今日は、故岡本三典氏との思い出の幾つかを書きたいと思います。

それはまだ私が、20代の頃だったと記憶していますが、当時、滋賀県の大津の近江神宮で、「言霊祭典」という御祭典が年に一度、4月に開催されていました。

日本の古代からの「言霊」の先覚者を「顕彰」することが目的で開催された御祭典でした。
丁度その年は、岡本天明先生が、言霊祭典で「顕彰」されることになりました。

岡本天明先生は、神代学の文献である、「水穂伝」を、戦前に独自に出版され、後年は『古事記数霊解序説』などの言霊・数霊学関係の著書も著されていました。

私は北伊勢の至恩郷から、岡本三典先生を近江神宮にお連れしたことがあります。この言霊祭典で、岡本天明先生を「言霊の先覚者」として顕彰するに当たり、大変御足労されたのは、この「言霊祭典」の提唱者であった、武市瑞月先生でした。

武市瑞月先生は、北伊勢経綸の「神柱」として岡本天明先生を北伊勢にお連れするに当たり、既に北伊勢に居住しておられた言霊の師に当たる武智時三郎先生に、強く進言された方で、私の言霊の最大の恩師であります。

北伊勢経綸のもう一人の中心人物であった皇霊学者の武智時三郎先生の高弟であった、「実戦言霊道」道主の武市瑞月先生と共に、岡本三典先生を近江神宮にお連れしたことが、今にして改めて思い出されます。

この御祭典には、当時の超古代史、神道霊学、神道界の錚々(そうそう)たる方々が、御参集されていました。

超古代史・神代文字関係の権威だった、吾郷清彦先生。琵琶湖研究会の宮部誠一郎先生。富士超古代史の研究家の加茂喜三先生。道ひらきの小島末喜先生。近江神宮の当時の宮司でいらした、横井時常先生。椿大神社の宮司の山本行隆先生。大本の大宣伝使で、大本の言霊学の権威者だった、神声天眼学会の倉田地久先生。大本における、出口聖師の言行録である、『新月の光(かげ)』の著者であり、大本の出口聖師からの言霊学を研究されていた、木庭守次先生。三輪神社に奉職された神道家であった小林美元先生。熊野荒坂津神社の宮司であり、言霊の神法「真澄修法」の継承者であった池端先生。などです。

そして、御祭典の当日の朝に、秘教的神道霊学家で、大本の出口聖師の師でもある、大石凝真澄翁が、神代文字の一種とされる「水茎文字」を目撃したと言われる、琵琶湖の南岸の「水茎の岡」に、岡本三典氏を車でお連れしました。

その時は、岡本三典氏もまだ60代であり、言霊祭典で顕彰された、岡本天明先生についての御講演を皆さんの前でされたことを記憶しております。

また平成6年(1994年)には、「日月神示発祥50年」を記念して、東京の「ギャラリー6」で、『岡本天明展』が開催されました。

この時私は、北伊勢の菰野町の至恩郷から、東京の会場まで、至恩郷の御神殿の「御神体」であった、「三貴神像」と、岡本三典氏を車でお連れしました。

今となってみれば、武市瑞月先生も、二年半前に物故され、今回の岡本三典先生の御逝去で、かつての「至恩郷」を支え、そしてその全貌をを知る方が、いなくなってしまった観があります。

残された私たちは、これらの経緯について、出来るだけ正確な事実を後世に残す責任があると感じます。

2009年7月1日水曜日

岡本三典氏の訃報に接して







【岡本三典氏の訃報に接して

本日、「ひふみ神示」を天授された、岡本天明先生の御婦人の岡本三典(みのり)御婦人が、6月23日にお亡くなりになられたことを知りました。

私が岡本三典氏と出会ったのは、今から30数年前の昭和52年位のことだと思います。
これも、二年半年亡くなられた、私の言霊の恩師である、武市瑞月先生に連れられて、「至恩郷」に行ったのが初めての出会いでした。
それ以来、いろいろと御交流をさせて頂きました。

この6月23日は、丁度、私が以前から懸案であった、このブログを開始した日でした。

何か、人智を超えた、大きな「動き」を感じます。

出来れば、私は御葬儀に参列したかったのですが、享年91歳で、身の回りの整理をされての眠るが如くの神上がりだったということです。

このお歳で、一人暮らしをされ、朝、いつもお電話を掛ける方が、今日に限って電話がないのを不審に思って、近くの方に御連絡され、御自宅に行かれた所、寝室で眠るが如く息を引き取られておられたということです。死因は、心不全ということだそうです。

享年91歳でした。(大正6年・1917年11月17日生まれ)
岡本天明先生とは、丁度20歳離れていました。
本年平成21年(2009年)が、岡本天明先生の47回忌(ひふみ47音に対応)に当たる年であることも、何か深い御神意を感じます。

謹んで、御冥福をお祈り致します。

お写真は、一枚目が、在りし日の岡本三典氏です。至恩郷のはるか彼方に、霊峰「御在所岳」が見えます。中央が、岡本天明先生です。その右後ろに、岡本三典氏がおられます。昭和30年位のお写真だと思います。

2枚目が、平成5年(1993年)の日月神示発祥の地、麻賀多神社の天之日津久神社での第48回6月10日の大祭です。一番右で、「ひふみ祝詞」を唱えていらっしゃるのが、岡本三典氏です。ちなみに、この写真の端に私が写っています。(写真は、いずれも、岡本三典氏提供。)

また、昭和53年頃に、岡本三典氏から、私に頂いた手紙があります。
私の愛用している、「日月神示」裏表紙に大切に貼ってあるものです。

                   岡田 光興 光拝