2009年7月2日木曜日

岡本三典氏との思い出・水茎の岡・岡本天明展







【岡本三典氏との思い出・水茎の岡・岡本天明展】

昨日は、6月23日に、「日月神示」天授者の岡本天明先生のご夫人である、岡本三典氏が他界されたことを書きました。

今日は、故岡本三典氏との思い出の幾つかを書きたいと思います。

それはまだ私が、20代の頃だったと記憶していますが、当時、滋賀県の大津の近江神宮で、「言霊祭典」という御祭典が年に一度、4月に開催されていました。

日本の古代からの「言霊」の先覚者を「顕彰」することが目的で開催された御祭典でした。
丁度その年は、岡本天明先生が、言霊祭典で「顕彰」されることになりました。

岡本天明先生は、神代学の文献である、「水穂伝」を、戦前に独自に出版され、後年は『古事記数霊解序説』などの言霊・数霊学関係の著書も著されていました。

私は北伊勢の至恩郷から、岡本三典先生を近江神宮にお連れしたことがあります。この言霊祭典で、岡本天明先生を「言霊の先覚者」として顕彰するに当たり、大変御足労されたのは、この「言霊祭典」の提唱者であった、武市瑞月先生でした。

武市瑞月先生は、北伊勢経綸の「神柱」として岡本天明先生を北伊勢にお連れするに当たり、既に北伊勢に居住しておられた言霊の師に当たる武智時三郎先生に、強く進言された方で、私の言霊の最大の恩師であります。

北伊勢経綸のもう一人の中心人物であった皇霊学者の武智時三郎先生の高弟であった、「実戦言霊道」道主の武市瑞月先生と共に、岡本三典先生を近江神宮にお連れしたことが、今にして改めて思い出されます。

この御祭典には、当時の超古代史、神道霊学、神道界の錚々(そうそう)たる方々が、御参集されていました。

超古代史・神代文字関係の権威だった、吾郷清彦先生。琵琶湖研究会の宮部誠一郎先生。富士超古代史の研究家の加茂喜三先生。道ひらきの小島末喜先生。近江神宮の当時の宮司でいらした、横井時常先生。椿大神社の宮司の山本行隆先生。大本の大宣伝使で、大本の言霊学の権威者だった、神声天眼学会の倉田地久先生。大本における、出口聖師の言行録である、『新月の光(かげ)』の著者であり、大本の出口聖師からの言霊学を研究されていた、木庭守次先生。三輪神社に奉職された神道家であった小林美元先生。熊野荒坂津神社の宮司であり、言霊の神法「真澄修法」の継承者であった池端先生。などです。

そして、御祭典の当日の朝に、秘教的神道霊学家で、大本の出口聖師の師でもある、大石凝真澄翁が、神代文字の一種とされる「水茎文字」を目撃したと言われる、琵琶湖の南岸の「水茎の岡」に、岡本三典氏を車でお連れしました。

その時は、岡本三典氏もまだ60代であり、言霊祭典で顕彰された、岡本天明先生についての御講演を皆さんの前でされたことを記憶しております。

また平成6年(1994年)には、「日月神示発祥50年」を記念して、東京の「ギャラリー6」で、『岡本天明展』が開催されました。

この時私は、北伊勢の菰野町の至恩郷から、東京の会場まで、至恩郷の御神殿の「御神体」であった、「三貴神像」と、岡本三典氏を車でお連れしました。

今となってみれば、武市瑞月先生も、二年半前に物故され、今回の岡本三典先生の御逝去で、かつての「至恩郷」を支え、そしてその全貌をを知る方が、いなくなってしまった観があります。

残された私たちは、これらの経緯について、出来るだけ正確な事実を後世に残す責任があると感じます。

3 件のコメント:

  1. 岡田(らむう)様
    御縁あり拝見させていただきました。
    偉大なる先達の御蔭で今がございます事に日々感謝感謝でございます。

    近年、何千年の御柱が建っている事を蔑ろにするたわけがおりますが、世尊・イエス様・ムハマンド様・孔子様・老子様の御恩も日々感じております。

    貴重な情報をありがとうございました。
    転載させていただきます。
    乱文等失礼致しました。拝

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  2. 82 さん。
    コメント有難うございます。

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  3. 熊野荒坂津神社で検索して辿りつきました。

    今週末から熊野~玉置神社、一日置いて春分の日に石屋神社、イザナギ神宮、佐奈部神社に参ってきます。

    また寄せていただきます。日月神示の事が出てきてびっくりです。ありがとうございました。

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